ビーフ・ストロガノフの蛇行
(2007年9月4日)ネットでビーフ・ストロガノフに関する不穏な噂を聞いた。なんでも、ビーフ・ストロガノフのビーフは牛肉ではないと言うのだ。
すわ、あらたな擬装問題が発覚か?! 北海道や中国の次はロシアなのか!? ……ということではなくて、これは純粋に言語学的な観点からのお話。たとえば、この記事を書いている時点では、日Wikipediaの「ビーフ・ストロガノフ」の項にこういう記述がある。
なお誤解されやすいが、「ビーフストロガノフ」の「ビーフ」は“牛肉”ではなくロシア語で”〜流”、”〜風” という意味であり、発音も「ビフ」「ベフ」の方がより正解に近い。
この説を取り上げて、昔はビーフ以外のストロガノフ、たとえば魚介のストロガノフもあったのかもしれませんね、と結んでいるコラムも発見した。
しかし、この説は本当だろうか? すこしでも語学をかじったことのある人なら、たぶん心のどこかで疑問を抱くと思う。僕はロシア語をまったく知らないけれど、聞いただけでうさんくさいと感じた。
だってビーフ・ストロガノフを日本語に訳したら、ふつー、「牛肉のストロガノフ風」になりませんか? 「ストロガノフ」だけで「〜風」と解釈できるのに、なぜ料理の重要要素である主材料名をわざわざ省いてまで、「〜風」なる接頭辞(?)をつける必要があるのだろう。興味を持ったので、すこし調べてみることにした。
最初に簡単に結論を述べると、「『ビーフストロガノフ』の『ビーフ』は“牛肉”ではなく、ロシア語で”〜流”、”〜風”という意味である」という風説は正しくなかった。それもあらゆる意味で正しくなかった。牛肉推進派の方々はほっと胸をなで下ろしていただきたい。ビーフ・ストロガノフの「ビーフ」は、これまでも、そしてこれからも、変わることなく牛肉100%である。
以下はその解説。まずは周辺知識として、ビーフ・ストロガノフの歴史から説明します。
ビーフ・ストロガノフの誕生
ビーフ・ストロガノフの「ストロガノフ」が、製塩業で巨富を得、国家から要塞建設権や私兵保有権をあたえられてウラル・シベリア地方植民政策の先兵となり、たびたびロマノフ朝を金銭的に援助したロシアの豪商一族、ストロガノフ家に由来するのは間違いない。ただ、この料理がいつから「ストロガノフ」と呼ばれるようになったか、また料理自体の起源はどこにあるのかについては諸説あり、どれが正しいのかはっきりしない。
一説によると、この料理に「ストロガノフ」の名を冠したのは、フランス人シェフCharles Briereであるという。彼は、サンクトペテルブルグで働いていた1891年、この料理のレシピをフランスのL'Art Culinaireに寄稿している。(1890年にサンクトペテルブルグで開催されたコンテストにこの料理を出品して評判を呼んだという説もある)
だが、「ストロガノフ」の名前は、19世紀後半にロシアで出版されたElena Molokhovetsによるレシピ本ですでに使用されている(初出については1861年説と1871年説がある)。このときの料理名は"Govjadina po-strogonovski, s gorchitseju"で、日本語に訳すると「牛肉のストロガノフ風、マスタード添え」。日Wikipediaでは、ビーフ・ストロガノフのロシア文字表記として、"говядина по-строгановски"と"бефстроганов"の2種類が紹介されているが、これは前者。「ベフ」つまり"беф"はどこにも出てこない。
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ストロガノフ一族に同じ名前の人物が複数人存在しているせいで、この問題はさらにややこしくなる。料理歴史本のいくつかで、複数のPavel (英語表記だとPaul) Stroganoff伯爵が混同されているのだ。
ひとりは、1772 (1774?) 〜1817年に活躍した外交官にして、アレクサンドル一世の「若き友人」のひとり、フランス革命時のパリに在住してジャコバン派の一員となり、ロシア芸術アカデミーの総裁であり、美食家でもあったPavel Aleksandrovich Stroganoff伯爵。もうひとりのPavel Stroganoff伯爵は、1823年〜1911年にサンクトペテルブルグに居住した人物だ。
18世紀は、近代化にともなって、西ヨーロッパ、とくにフランスの料理がロシアにもたらされた時代。裕福な貴族は競ってフランス人のコックを雇い入れたという。いっぽう、元が農民の出であり、商業上の功績を認められて貴族となったストロガノフ一族は、ロシア文化の保護発展にも熱心だった。
前者のストロガノフ伯爵はフランスで生まれた人物。歴史的な知名度を考慮すると、19世紀後半のエレナのレシピ本に出てくる「ストロガノフ」が彼を指していると考えて、なんの問題もないように思える。しかし、一部の本では、前者の経歴を紹介しながら、「(本が出た)1871年は伯爵が美食家としての名声を確立する前だから」として、この説を退けているのだ。いっぽう、20世紀に生きたほうの伯爵を由来とする説では、先のCharles Briereシェフは、この伯爵のために働いていたとされる。
もちろん、ビーフ・ストロガノフの由来とされるストロガノフ一族はこの二人に止まらない。よく名前が出されるのはAlexander Grigorievich Stroganov伯爵 (1795-1891) で、これはOxford Encyclopedia of Food and Drink in Americaの記述が元になっているらしい。
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参考
- The Stroganoff Fundation (ストロガノフ一族の設立した財団)
- The Stroganoffs (also Stroganovs) (Olga's Gallery, ストロガノフ一族の肖像画)
- Stroganov familiy (Genealogy.eu, ストロガノフ一族の家系図)
- Strogonov Genealogy (Geneealogy & Heraldry, こちらもストロガノフ一族の家系図)
ビーフ・ストロガノフは、ストロガノフ一族の家伝の料理であった説と、ストロガノフ一族の誰かが考案した説、ストロガノフ一族に仕える人シェフが考案した説、ストロガノフ一族の誰かあるいは彼らに仕えるシェフが元々あった風土料理を改良した説がある。考案説の場合、歳を取って固い牛肉を食べづらくなったストロガノフ一族の誰かのために考案された、シベリアの冬で固く凍り付いた牛肉を食べられるものにするために考案された、などとされることが多い。
また、15世紀のハンガリーに、牛肉やサワークリームを使った Sour Cream Vetrece (savanyu vetrece) という料理があり、これをビーフ・ストロガノフの原型と見る説もある。
英語圏におけるビーフ・ストロガノフ
ビーフ・ストロガノフの「ビーフ」が、”〜流”、”〜風”を意味するロシア語の「ビフ」「ベフ」であると仮定すると、
- ロシア語の「ベフ」が、日本人によって誤って「ビーフ」とヒアリングされ、ビーフ・ストロガノフとして日本語に定着した
- ロシア語の「ベフ」が、米英人によって誤って「ビーフ」とヒアリングされ、ビーフ・ストロガノフとして英語に定着し、それが日本にも流入した
というふたつの経路が考えられる。
1.の場合、ビーフ・ストロガノフは英語圏ではどのように呼ばれているのかという疑問が生じる。2.の場合、誤解の経緯は英語圏にも記録されていると考えるのが自然だ。ロシア語に先立って、英語圏における「ビーフ・ストロガノフ」を調べてみた。
各種辞典に当たってみたところ、ジーニアス英和大辞典・リーダーズ英和辞典・プログレッシブ英和中辞典には "Beef Stroganoff"の項があった。どうやら英語圏でも、ビーフ・ストロガノフはビーフ・ストロガノフと呼ばれているらしい。
Googleで検索してみたが、やはり、英語圏でも、"Beef Stroganoff"の語が普通に使用されている。レシピサイトや料理の歴史に関する情報を集めたサイトも数多くヒットしたので、片っ端から当たってみたが、ロシア語の「ベフ」に関する記述は一切発見できなかった。
いっぽう、英英辞典Oxford Dictionary of Englishに、"Beef Stroganoff"の項目はない。しかし、"Stronganoff"の項は存在し、「[質量名詞] 主材料(一般的に牛肉の細切り)をサワークリームを含んだソースで調理した料理」と解説されている。
ODEよりさらに詳しいOxford English Dictionaryにも、"Stroganoff"の項目はあるが、"Beef Stroganoff"の項目はない。説明には、「牛肉の細切りをサワークリームを含むソースで調理した料理。正式名、beef stroganoff, boeuf stroganoff」とある。こちらのスタンスは、ビーフ以外にもストロガノフがあるからビーフを付けないのではなく、ビーフ・ストロガノフが有名なのでストロガノフのみで通じる、であることに注意していただきたい。OEDによると、英単語"Beef Stroganoff"の、記録に残っているなかで最古の使用例は1932年。A. Heathによるレシピ本、Good Foodに登場したのが最初とある。
OEDは英単語の語源や意味変化の過程を詳細に追いかけた辞典なのだが、語源に関しては、「19世紀のロシアの外交官、Paul Stroganov伯爵の名前より」とあるだけで、ロシア語の「ベフ」に関してはなんの言及もない。もっと面白いのが、語源の冒頭に「フランス語」の記載があるところ。OEDの編者たちは、英語の"Beef Stroganoff"が、フランス語の"Boeuf Stroganoff"に由来すると考えていることになる。"Boeuf"はフランス語で「牛肉」の意。「ブフ」と発音する。
ロシアにおけるビーフ・ストロガノフ
英語圏の状況を調べているうちに、「ビーフ・ストロガノフ」の「ビーフ」がロシア語に由来するという説がますます怪しく思えてきた。日本だけ……とは断言できないけど、すくなくとも英語圏では、そのような説は流布していないようだ。では、肝心の大元、ロシア語圏ではどうなっているのか? Googleで検索してみた。
僕が検索した時点で1番目と2番目に表示されたサイトに掲載されていたのは、俳優Shia LaBeouf (シア・ラブーフ)に関する情報だった(→1番目/2番目)。彼の名前は、ロシア文字では"Шиа Ла Беф"と表記するらしい(※"Б"は"б"の大文字)。フランス語で牛肉を指す"Boeuf"と綴りが似ていることに注目していただきたい。1ページ目の一番下に表示されていたのは、スウェーデン版Wikipediaの項目。フランスの都市Beffesが、"Беф"と表記されている(スウェーデン版/フランス版)。
料理の「ビーフ・ストロガノフ」が登場するのは、ようやく2ページ目に入ってから。しかし、この検索結果がすこぶる興味深い。
フランス語で牛肉を指す boeuf の次に、括弧をして (беф) と書いてある。бефはboeufの言い換えだと言うのだ。
では、"Беф"と"boeuf"を両方とも指定して検索したらどうなるだろう?
ますます面白い結果が出た。boeufの次に括弧書きで (беф) とした例がほかにも見つかるほかに、フランス料理である boeuf braiseを"Беф-брезе", boeuf bouilliを"Беф-бульи", Cote de boeufを"кот- де-беф"、Boeuf bourguignonneを"Беф бургиньон"と表記したものなど、多数の例が見つかった。
これらの例では、明らかに、"Беф"がフランス語の"Boeuf"のロシア語表記として使用されている。
とくに面白いのが、Boeuf bourguignonneの例。Bourguignonneは「ブルゴーニュ」という地名ではなく、「ブルゴーニュ風」を意味するフランス語だから、料理名を日本語に翻訳すると、そのまま「牛肉のブルゴーニュ風」になる。風説通り、ロシア語の「ベフ」が「〜風」を意味すると仮定した場合、「ブルゴーニュ風風」で意味が重なってしまう。
Boeuf bourguignonneのちょっと先の部分に、говядина по-бургундскиと書いてあるところにも注目。最初のほうで言及した通り、говядина(アルファベット表記だとGovjadina)はロシア語で牛肉の意味だから、こちらも「牛肉のブルゴーニュ風」である。
ふたつの表記では、"бургиньон"と"по-бургундски" と、「ブルゴーニュ風」に当たる単語の語頭と語尾が変化している。ビーフ・ストロガノフのロシア語表記である"бефстроганов"と"говядина по-строгановски"でも、同じことが起きていた。
この変化は、どう見ても文法に乗っ取った正しい処理である。だから、フランス語をよく知らないロシア人が、「ブルゴーニュ風」を意味するBourguignonneに「〜風」を意味する"Беф"を重ねたという解釈は通用しない。また、ここでは、"по- "が「〜風」という言葉を作るための接頭辞として使用されていることにも注意してほしい。
なぜフランス語なのか?
では、なぜロシア生まれの料理であるはずのビーフ・ストロガノフが、ロシアでフランス語読み/表記されているのだろう?
まず、フランス料理の知名度の高さがある。フランス料理は世界三大料理のひとつにも数えられる伝統ある料理だし、前述の通り、近代ロシア料理の成立には、ロマノフ朝の貴族階級に雇われたフランス人シェフたちが大きな影響を及ぼしている。ロシア人の間には、フランス語の料理名のほうがかっこいい、あるいは本格っぽいという意識があるのかもしれない。
また、発生以降にビーフ・ストロガノフが辿った歴史が、名称にあたえた影響も見逃せない。
ビーフ・ストロガノフの拡散
1917年のロシア第二革命によるロマノフ朝の崩壊後、ビーフ・ストロガノフのレシピは国外に広く流出する。
英Wikipediaによると、第二次世界大戦前、中国のホテルやレストランでは、ビーフ・ストロガノフは一般的なメニューであったという。このメニューがロシア・中国からの移民や、社会主義化する前の中国に駐留していたアメリカ軍人によって本国にもたらされ、1950年以降にアメリカで一般化した、というのが英Wikipediaの説明だ。
しかし、この説明は大陸の反対側からのルートを見落としている。前出のフランス人シェフCharles Briereの伝説が正しければ、1891年にL'Art Culinaireにレシピが寄稿されて以来、この料理はフランスにも伝わっているはずだ。それに、フランスは、ドイツと並んで、革命から亡命した白系ロシア人の主要な受け入れ先だった。(亡命者の総数は150〜200万人。うち、40万人がフランスに、60万人がドイツに逃れたと言われる。画家シャガールもフランスに亡命した白系ロシア人のひとり) 彼らとともにビーフ・ストロガノフのレシピが伝わっていたとしても、なんの不思議もない。
実際、1920〜30年代のパリで、ロシア人シェフの饗するビーフ・ストロガノフが人気を博していたことを伝える記録がある。雑誌The International Stewardの1935年12月号に掲載された、ニューヨークのセントレジスホテルで働くロシア人シェフの名声を喧伝する記事だ。
- Beef Stroganoff (American Dialect Societyメーリングロストのログ)
記事は、ロシア人シェフSemplich Ignatovichが、ビーフストロガノフ(フランス風にBoeuf a la Stroganoffと呼ばれている)を始めとするさまざまなロシア料理をホテルのレストランで提供して、ホテルの名声をさらに高めたことを紹介するもの。この記事によると、件のロシア人シェフは、レストランのオーナーである女主人Olga Tokaroffに連れられて渡米する前、彼女がパリのモンタボー通りで経営していたレストランで働いて名声を築いたという。
いくつかの料理本の記述からも、ビーフ・ストロガノフを提供するレストランが、1930年代のアメリカに既に存在していたことが裏付けられる。1939年版に発行された、Dinaa Ashleyによるニューヨークシティのレストランガイドには、ビーフ・ストロガノフをメニューに載せたレストランが2軒登場するのだが、これらの店のレシピはすでにアメリカ風の味付けに改良されている。一説によると、第二次大戦中は牛肉の供給が著しく制限されたため、ほとんどのシェフはビーフ・ストロガノフを作ることができず、このために大戦が終わった50年代以降に、レシピが全米に広がったのだという。
今日、ビーフ・ストロガノフは、日本やアメリカのほか、オーストラリア・ブラジル・スウェーデンやノルウェーなど、世界中の数多くの国で人気料理として親しまれている。バリエーションも国や料理人によって千差万別で、おそらくこのことも、ビーフ・ストロガノフを巡る混乱に拍車をかける原因のひとつになっている。
そして、ビーフ・ストロガノフ、「牛肉のストロガノフ風」は、フランス料理の一品としても存在する。つまり、フランス風のビーフ・ストロガノフなるものが存在するのだ。フランス料理店のメニューで実際にご覧になったことがある方もいらっしゃるだろう。Web上にも数多く言及が見られる。
- 簡単ビーフストロガノフの作り方:フランス料理 (フランス料理シェフのレシピ、美味しい話)
ビーフストロガノフはどんな料理かというと牛肉をソテーし、炒めたたまねぎやマッシュルームをフョンドヴォーで軽く煮て、バターライスやサワークリームを添えたフランス料理です。
ロシア財閥のストロガノフ家のフランス料理人が19世紀に作った料理だそうです。
だからフランス料理なのにロシア語の名前がついているんですね。
- ビーフストロガノフ (ロシア料理)
この料理を初めて覚えたのは、「おそうざい風フランス料理」(辻静雄)という本でした。「ロシア風牛肉の煮込み」という副題と、以下のようなコメントがついていました。
ストロガノフは、もともとロシアの貴族の名前です。ヒレ肉を外側はカリカリに、中は生で表面をさっといためて生クリームだけであえるのがストロガノフだという説と、トマト風味が入らないとストロガノフといえないという説と、2派が主張を曲げないでがんばっています。
- ビーフストロガノフ (バーチャル グルメ道場)
「ビーフストロガノフ」は、19世紀帝政ロシアの時代、ストロガノフ伯爵のフランス人コック長が広めたといわれる料理。ロシア生まれではありますが、今ではフランス料理としても親しまれています。ロシアではサワークリームを使いますが、生クリームを使うのがフランス風!
ビーフ・ストロガノフの蛇行
フランス語読みのBoeuf Stronganoffがロシアに伝わった経緯ははっきりしない。あるいは、ソヴィエト時代のロシアでは牛肉のストロガノフ風のレシピが跡絶えており、フランス料理としてあらためて流入したものが広がったのかもしれない。または、ロシア風の味付けではない、フランス料理としての牛肉のストロガノフだけを"Бефстроганов"と呼ぶのが、そもそもの正しい使いかたであったのかもしれない。
ひとつだけ確かなのは、ロシア語の"Бефстроганов"が、フランス語のBoeuf Stroganoffに由来するということだ。ロシアで生まれ、ロシアからフランスをはじめ世界中に広まったとされる料理が、ロシアではフランス語で読まれ、そのために日本人を混乱させている。これもまた、言葉の成り立ちと流布の過程をめぐる興味深い一例と言えるだろう。
まとめ
- ビーフ・ストロガノフは、ロシア語で"бефстроганов"または"говядина по-строгановски"と表記する
- ふたつの表記法のうち、純粋にロシア語なのは後者であり、前者はフランス語の料理名、"Boeuf Stroganoff"のロシア語表記である
- Boeufはフランス語で牛肉の意味。「ブフ」と発音する
- したがって、「『ビーフストロガノフ』の『ビーフ』は“牛肉”ではなく、ロシア語で”〜流”、”〜風”という意味である」という風説は、あらゆる意味で完全に間違っている
- なぜなら、
- この"беф"はロシア語ではなくフランス語であり
- “牛肉”という意味だから
参考
- 日Wikipedia: ビーフ・ストロガノフ
- 英Wikipedia: Beef Stroganoff
- The Food Timeline: history notes-meat
- The Stroganoff Fundation
- The Stroganoffs (also Stroganovs) (Olga's Gallery)
- Stroganov familiy (Genealogy.eu)
- Strogonov Genealogy (Geneealogy & Heraldry)
- Google検索:
- Беф-строганов по-театральному (Галопом по Европам)
- Сказка о мясе и мясных продуктах (Шпильке.РУ)
- Кулинарный словарь [Архив] (Izbushka.com)
- Уроки французского / Cote de boeuf (LingvoDA)
- Coq au vin - петух в вине. (Ресторанный рейтинг)
- 亡命 (MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト)
- Beef Stroganoff (American Dialect Societyメーリングロストのログ)
- 簡単ビーフストロガノフの作り方:フランス料理 (フランス料理シェフのレシピ 美味しい話)
- ビーフストロガノフ (ロシア料理)
- ビーフストロガノフ (バーチャル グルメ道場)
ほんやくメモ:bar girl, B-girl
(2007年6月15日)HTMLの番号つきリスト(<OL>)の属性ってどんなだったっけ、とGoogleで検索してみたら、当然と言えば当然だけど、オフィスレディの方の結果が大量に表示されてしもうた。
で、その流れで、なんの気なしにWikipediaのOLの項を読んでいたら、注の部分にこんな文章が:
3. ^ 英語で「売春婦」は prostitute をはじめ、スラングとして call girl、streetwalker、camp follower、whore、hooker など枚挙にいとまがないが、bar girl というものはない。1960年代前半の日本なら「一人でバーに飲みにいくような女はふしだら」と思われたかもしれないが、欧米でそうした偏見は既に1940年代前半にはなくなっていた。
これは、本文の「『女性会社員』を表わすことばとしては、かつては“business girl”の頭文字を取った『BG』[2]というものがあった。しかし『英語で BG は Bar Girl のことで、これは売春婦という意味』という噂[3]が東京オリンピックを翌年に控えた1963年に広まったため、……」という部分に対する注。まるで bar girl という言葉など英語圏には存在しないと言いたげな語調になっているんだけど、いやいや、ありますから! 英英辞典にも載ってますから!
大きめの英和辞典で bar girl を引くと、たいてい「バーのホステス」「女性バーテンダー」「酒場に出入りする売春婦」といった語義が出てきます。英英辞典OEDの場合、 bar の項目に複合語・限定語のひとつとして -girl が登場するだけですが、短縮形の米スラング、B-girl のほうに、"A Woman employed to encourage customers to buy drinks at bar"という定義が出てきます。「酒場で客にお酒を勧める女性」だから、立場としてはホステスさんですね。例文として、F.ArcherのOut of Blue (1966) からの引用が出てくるのだけど、これが面白い。 "If I stand here, I'm a waitress, see? If I sit down, I'm a B-girl"と、立っていたらウェイトレスだけど、座ったら B-girl になるらしい。今日のインターネットにおける用法を調べると、アジア圏、とくに東南アジアのホステスさんを指して bar girl と呼ぶ例が多く見られます。
もっと面白いのが、bar の項目に出てくる bar girl の例文。雑誌Timesの1963年4月19日号の記事からの引用として、"Changes in postwar Japan: the popularity of `bar-girls', the modern substitute for geisha" なる例文が出てくるんです。これはどう見ても記事のタイトルで、和訳すると「戦後日本の変化:現代版芸者である`bar-girls'の流行」。どうやら日本の風俗産業を紹介した記事であるらしく、ここで、1963年・bar-girl・芸者→売春婦という要素がみごとに繋がったことになります。
ただ、日Wikipediaで解説されている「BG = Bar Girl = 売春婦」の三段論法のほかに、「そもそも business girl = 売春婦の淫語であることが後に判明した」説も存在するのがややこしい。しかし、面白いことに、business girl = 売春婦 とはっきり解説しているのは英和辞典だけなんですね。英英辞典や英語類語辞典には、売春婦の類語として working girl が出てくるし、business woman も売春婦の隠語として使用されているっぽいけど、business girl は言いかたとしてアリだとしても、それほどメジャーでは無いらしい。同様に、bar girl をはっきり「売春婦」と解説しているのも英和辞典だけです。
推測を交えながら整理すると、だいたいこういう流れじゃなかったかと思うんです:
- 東京オリンピック直前の1963年、雑誌Timesに日本の`bar girls'を取りあげた記事が掲載された。この`bar girls'は風俗産業に従事する女性たちを指す。(推測だが、この記事には、いまの日本や欧米のマスコミが、オリンピック直前の中国の「未開」度合いを揶揄するのと同じようなニュアンスがあったのかもしれない)
- Timesにこれこれこういう記事が掲載されたよという情報が日本に伝わる。これはオリンピックを控えた日本にとって不名誉なこと
- 欧米では、`bar girls'は芸者のようなもの、売春婦みたいなものを指すらしいという理解がひろがる
- ちょっと待って、日本では職業婦人のことをBGって呼んでるよ!
- BGを bar girls の略語だと思われたら、日本は今もってゲイシャの氾濫するセックス天国だと思われて、ますます不名誉なことになる。いえ business girl の略ですと説明したいところだが、business girl という言葉も売春婦の隠語っぽい。略しているからますます隠語っぽく聞こえる
- それに、オリンピックになるとたくさん外国人がやって来るから、このままBGを使い続けていたら、職業婦人の皆さんが悪い外国人に手込めにされちゃうかも! (※異邦人はみんなペニスがおっきいから女の子を取られちゃう症候群)
- というわけでBGにかわるあたらしい用語を募集します
- BG→OL
- 日本の英語学者たちの頭に bar girls/business gurl = 売春婦 という印象が強く残る
- その痕跡が、英和辞書の bar girls/business girls の項目に残っている
しかし、"OL"でGoogle検索すると、1ページ目に表示されるサイトのほとんどが男性向けエロサイトになるのはちょっと驚きでした。OLさんのブログが大量に引っかかるとか、OLさんをターゲット層にしたショッピングやコミュニティサイトがトップに来るのかと思いきや。大部分の女性たちにとって、"OL"という言葉は、もはや(……それとも、ずっと?)憧れの姿を提示する最先端の「かっこいい言葉」じゃ無いらしい。あ、でも、「エビちゃんOL」だと結構ブログのヒット率が上がるな。
ともかく、"OL"が、いまだに男性の性的憧憬を掻き立てつづけるマジックワードであることだけはよく分かりました。この状況はパンツとパンティの関係にどことなく似ている気がしないでもない。
参考
- OL (日Wikipedia)
- OL (知泉Wiki)
- Juicy girl (英Wikipadia)
- パンツとパンツの違いについて (2007/1/8)
ほんやくメモ:environmental footprint
(2007年6月14日)- 米Electronic Arts、「シムシティ」シリーズ最新作を発表、「シムシティ ソサエティーズ」欧米では11月発売予定 (Impress Watch)
記事はすたすたでも昨日紹介した、英文のアナウンスに基づくもの。
- SimCity Series Makes Highly- Anticipated Homecoming as EA Announces SimCity Societies for the PC (EA.com)
- EAがSimCity Societiesを正式アナウンス (2007/6/13)
同じ原文をほかの人が訳した文章を読むと、あっここ訳し忘れてたとか、ここはこう訳せばよかったんだとか、いろいろ発見があって面白いです。
同作のスタジオヘッド兼バイス・プレジデントのRod Humble氏は、「『シムシティソサエティーズ』でプレーヤーは、今まで以上に楽しく、さまざまな都市を思い通りに創り上げることができます。私の場合は警察権力の強い都市という設定で、社会からはずれた人を強制的に施設に送り込み、更正して社会に復帰させます。またあるときは、何もない南国風の土地から住民が自給自足で生活し、小さな足跡を残せるような緑の街も創れます。『シムシティソサエティーズ』はオプション機能満載で、ユーザーの思うままに都市設計が可能です」とコメントしている。
(注:強調は引用者による)
面倒くさかったので自分では訳出しなかった部分にツッコむのもなんですが、Rob Humble氏は"Vice President and Studio Head of The Sims Division"なので、(EAにおける)The Sims部門のVice PresidentにしてStudio Headと訳すべきじゃないかなあ、というのがまず一点。Humble氏はたしかSims Studioの重役さんだったはずなので、Tilted Millのスタッフであるようにも読めるこの訳しかたはマズい気がします。
もうひとつ、強調表示したところ。ここは原文の"I build a green community in the tropics, where the citizens grow their own food and have a small environmental footprint"に相当する部分。僕は"in the tropics"のセンテンスをまるごと見落としていたので、ここにツッコむのはまたしてもアレですが、これは単に「熱帯地方の」で良いんじゃなかろうか。「何もない南国風の」はどこから出てきたんだろう。ゲーム繋がりで、PopTopのTropicoのイメージに引っ張られたとか?
それよりもいちばん気になったのが、「小さな足跡」の部分。原文は"a small environmental footprint"で、実を言うと、"footprint"をどう訳すべきなのか、僕にもよく分からなかった部分です。昨日は、ODEの"the area covered by something"の語義から、「環境スペース」という言葉をひねり出したんですけど、googleで検索してみると、これは"environmental footprint"でひとつの言葉なんですね。エコロジーの文脈で使われる用語みたい。
- Ecological Footprint (英Wikipedia)
- 環境用語集:「エコロジカル・フットプリント」 (EICネット)
人間活動により消費される資源量を分析・評価する手法のひとつで、人間1人が持続可能な生活を送るのに必要な生産可能な土地面積(水産資源の利用を含めて計算する場合は陸水面積となる)として表わされる。
例えば、あるエコロジカル・フットプリントでは、1)化石燃料の消費によって排出される二酸化炭素を吸収するために必要な森林面積、2)道路、建築物等に使われる土地面積、3)食糧の生産に必要な土地面積、4)紙、木材等の生産に必要な土地面積、を合計した値として計算される。この場合、アメリカで人間1人が必要とする生産可能な土地面積は5.1ha、カナダでは4.3ha、日本2.3ha、インド0.4ha、世界平均1.8haとなり、先進国の資源の過剰消費の実態を示すものである。
これは人間が地球環境に及ぼす影響の大きさとみることもできることから、エコロジカル・フットプリントつまり「地球の自然生態系を踏みつけた足跡(または、その大きさ)」と呼んでいる。
最後の一文からなんとなく和風こじつけの臭いが漂っているような気がしなくもないけど、それはともかく、検索で発見できた訳語は、「環境足跡」「環境フットプリント」「エコロジカル・フットプリント」など。
というわけで、"where the citizens 〜 have a small environmental
footprint"は、「市民がちょっとだけ環境に貢献できる」程度の意味か、「市民がそれぞれに食糧生産のための土地を保有する」のどちらかじゃないかと思うんですが、どんなもんでしょう。「市民が小さな環境フットプリントを持つ」→「市民が環境にあたえる悪影響を小さくできる」程度の意味じゃないかと思うんですが、どんなもんでしょう。
メイドさんは乙女なのです
(2007年5月30日)買ってきたまんがタイムきららフォワードVol.8を読んでいたら、気になる部分があったのでちょっとコメント。
気になったのは吉谷やしよのくろがねカチューシャ。メイド喫茶を舞台にしたギャグ漫画で、語呂合わせとして拷問機具である鋼鉄の乙女が登場するんだけど、ここで主人公の女の子が「『メイド』と『メイデン』こじつけるのは苦しいですよ!!」とコメントするのね。
あれ、世間の人はそういう認識なのか、と、インターネットの集合知の代表格たるWikipediaをチェックしてみたら、「メイド」の項にこういう記述が:
メイド(maid, maid-servant)は、清掃、洗濯、炊事などの家事労働を行う、女性使用人(女中、家政婦、ハウスキーパー、家庭内労働者)を指す。難しい、あるいは重要な仕事を与えられない様な子供がこの仕事に就く事も多かった事から「maid」は少女や処女と言った意味合いも持つが、現代において職業としてのメイドを行っている者は成人女性である場合が殆どである。
(注:強調は引用者による)
使用人としての maid がまず元にあり、そこから少女や乙女を maid と呼ぶ風潮が生まれた、という主張みたい。
だけど、これは違うんです。具体的に言うと逆なんです。歴史的な流れで言うと、少女や乙女がまず maid であり、そこから使用人を maid と呼ぶ流れが生まれたんです。だって、maid という単語は、もともと「少女」「若い女性」を指す maiden の短縮形なんだから。
Oxford English Dictionaryによると、maid という単語が記録に登場したのは、12世紀の終わりごろから13世紀はじめのこと。元になった maiden は11世紀からすでに使用されているので、だいたい2世紀くらい開きがあります。Maid の最初の意味は「女の子」「若い(未婚の)女性」や「処女」で、the Maid of Orleans と言えばオルレアンの乙女、すなわちジャンヌ・ダルクのこと。
使用人の呼称としての maid が記録上に登場するのは、もっとも早い例で1390年、一般的に使用されるようになるのは16世紀以降になってからです。こちらの意味が一般的になるにつれてほかの意味が駆逐されてゆき、現在英和辞典や英英辞典を引くと、「使用人」としての語義が最初に表示されるようになった、という流れ。
また、最初の意味から転じて、聖職者のような、常に性的関係を避けつづける男性を maid と呼ぶこともありました。この用例に従うと、メイド喫茶に通い詰めて萌え萌え連呼する童貞諸氏もまたメイドであり、メイド喫茶は文字通りメイドに埋め尽くされた場であると主張することもできそうですが……。すみません。単なる余談です。
ブロガーの行動規範7ヶ条を訳してみたよ
(2007年4月14日)僕はブログスフィアの辺境で誰ともかかわり合いにならずに日がな一日のんびり茶をすすっているだけの人間なので、扱われている話題そのものにはたいして興味がないのですけど、はてなブックマークで見つけた話題に、翻訳的な観点からコメント:
- オライリーがブログエチケット「Blogger's Code of Conduct」を提唱 (ガ島通信)
- Blogger's Code of Conduct (Blogging Wikia)
1. We take responsibility for our own words and reserve the
right to restrict comments on our blog that do not conform to our
standards.
文面はガ島通信に引用されたときからちょっと変わっちゃってますが、これは、前段は他人のブログにコメントする際の心構え、後段は自分のブログに寄せられたコメントに対する心構えを述べているんだと思います。だからちょっと繋がりが分かりにくいんだけど、どちらもブログに対する攻撃的なコメントが念頭にあるんでしょう。
この場合の"reserve"は「使わない」という意味ではなくて、「確保しておく」「残しておく」くらいの意味。解説部分では"we will delete unacceptable comments" と、コメントを削除することがはっきりと唱われています。濫用はしないけれど、カードとしてはいつでも使えるように持っておくというニュアンスでしょうか。
「1. 我々は自分の言葉に責任を持ち、自分のブログに寄せられた、倫理にそぐわないコメントを制限する権利を持ちます。」
2. We won't say anything online that we wouldn't say in person.
「2. 面と向かって言えないようなことは、オンラインでも言いません。」
3. If tensions escalate, we will connect privately before we respond
publicly.
ブログスフィアで衝突や誤った記載を見つけたら、私的に話すか、その人と直接会って話すか、そのための仲介者を見つけるために努力しましょう、と解説されています。向こうには仲介者を見つけるためのmediate.comなるサービスまであるのだそうで。
「3. 緊張が高まったら、公の場で反応する前に私的に接触をとります。」
4. When we believe someone is unfairly attacking another, we
will take considered action.
攻撃を見つけたときの第三者としての心構えを説いた項目。"Considered action"は、煽りに乗ってフレームに参加しないよう注意深く行動する程度……なのかと思いきや、解説を読むと、攻撃的なコメントを見つけたときに、投稿者に(もし可能なら、前の項目で触れられているように、私的に)接触を取って、公式に訂正するように要求したり、コメントが脅迫または違法な性質を備えていると解釈でき、コメント主が撤回も謝罪もおこなわない場合は、警察に連絡することを指しているそうです。シリアスだ。
「4. 誰かが別の誰かを不当に攻撃していると感じたら、よく考えたうえで行動します。」
5. We do not allow pseudonymous comments, but will allow
anonymous ones.
ディスカッションページですごく盛り上がっている話題。過去のバージョンでは、"We do not allow anonymous comments"または"We do not allow pseudonymous comments"と、匿名を全否定しながら用語だけ入れ替わっていたり、"We do not allow anonymous comments, but will allow pseudonymous ones"と、用語の使いかたが逆だったりするので、ネイティブの人たちの間でも、anonymousとpseudonymousがなにを指すのか、意味の把握にぶれや混乱があるようです。たぶん、この項目は将来的にいろいろ弄られそうな予感。
ともかく、ここでのキモは匿名コメントを許すかどうか。最初は全否定だったのが、「いや、匿名の意見も役に立つ」という主張を受けて、段階的に後退している真っ最中です。アメリカでは、偽名で出版された小冊子コモン・センスが、イギリスの圧政を批判し、独立戦争への気運を高めていったという経緯があるせいで、マイノリティが危険にさらされずに言論の自由を行使する手段としての匿名または偽名は、日本よりもはるかに真剣に擁護されます。
ここでの根底にあるのは、匿名は許すが自己同一性は確保されるべきだ、という議論じゃないかな。つまり、Aという匿名さんはいつでもどこでもAさんであって、別の匿名Bさんのふりをしてはいけません、そのために追跡できる電子メールアドレスまたはOpenIDのような仕組みを利用しましょう、ということじゃないかと。
「5. 我々は偽名のコメントを許しませんが、匿名のコメントは許容します」
6. We ignore the trolls.
"Troll"はUSENET時代からのジャーゴンで、荒らし行為または荒らしをする人のこと。元々の意味は釣りのトローリングから来ているので、今ならそのまま「釣り」と訳して意味が通じるケースも多そうです。("Trolling"の意味は荒らし全般に拡大されているので、「釣り」の範疇に入らない無意味なコメントの投稿なども"troll"と呼ばれます)
「6. 荒らしは無視します。」
7. We encourage blog hosts to enforce more vigorously their terms of
service.
"Terms of Service"はサービス利用規約のことで、よくToSと略されます。ブログ運営会社の規約には、たいてい「差別的や攻撃的な内容を含むブログはサービス停止する」云々の項目があるのに、実際にはそれらの内容を含むブログが放置されていることに対する批判なのでしょう。
「7. 我々は、ブログ運営会社が、サービス利用規約をより厳格に適用することを望みます。」
全体的に見るとわりとシリアスかつソーシャルですね。日本に多い、匿名掲示板 vs 個人のブログ、という構造じゃなくて、ブログ vs ブログ の構造が念頭にある感じです。
安部首相のうしろまえが逆になった話
(2007年2月2日)最近趣味にしているはてなダイアリー巡りをしていたら、気になる記事を見つけました。柳沢伯夫厚生労働大臣の「産む機械」発言に関するエントリーで、海外プレスの記事を引いて大臣を批判している内容なのですけど、翻訳がちょっとおもしろい。これです。
- 柳沢大臣トンデモ発言続報 (nohalfのメモ)
念のために最初にお断りしておくと、僕の記事は、柳沢大臣の発言や、あるいは発言に対する反応に対して、なんらかの意見を表明するものではありません。ただの言葉遊び(それも真の意味での言葉遊び)です。
上のエントリーでは、オーストラリアの新聞、The Australianに掲載された記事が引用されています。新聞記事の見出しは、"Japan PM backs 'birth-machine' minister."
筆者のnohalf氏は、これに対し、
こうした厚生労働大臣がいること自体が日本にとって恥ですが、さらにこうした大臣をかばい(backs)、罷免を拒否するprime minister(総理大臣)も世界中の笑いものです。即刻辞任して新しい大臣に仕事を任せるべきです。
と意見を表明しています。ここで"backs"が「かばう」と訳されているのが面白い。
文意からすると、ここに「かばう」という訳語を当てはめるのは、決して間違いじゃありません。わりとぴったり来ていると思う。でも、日本語の「かばう」は、自分が矢面、つまり前面に立って、後ろにいる相手を守っているイメージですよね。ところが、英語動詞の"back"は、これとは前後関係がまったく逆で、後ろから支えたり、あるいは背面を守ることが"back"なんです。
"The Prime Minister is backed by the civic movement"と言えば、首相がcivic movementの後押しを受けていることだし、"a singer is backed by a band"と表現したら、バンドが歌手の伴奏しているという意味です。日本語でもバックバンドって言いますよね。
競馬のような賭け事の文脈で"back"が使われることがあるけど、これは、ある人が、対象が競争に勝つと信じることで、たいていは対象にお金を賭けることを言います。たとえば"he backed the horse at 33-1"とか。この場合、賭け率が33対1とかなり分が悪いので、穴馬にお金を賭けたことになります。本の裏打ちをすることや、鏡の背面に装飾をつけることも"back"です。
というわけで、たぶん訳語としては、「支援した」「支持した」「後ろ楯になった」のほうがより正確でしょう。イメージとしては、退路を断たれて孤立しないように背面を守ったという、モラルサポート(えーと、志気の意味のモラルね)的な意味合いが強いと思われます。雰囲気が出ているから、「かばう」でも悪くないと思うんですけどね。
参考
- Japan PM backs 'birth-machine' minister (The Australian)
翻訳メモ:Khyber Rifles
(2007年1月25日)CivFanaticsの「最近更新されたCiv4関連ファイル 1月17日分」を翻訳しているときに出会った。
英Wikipediaによると、Khyber Riflesは、現代パキスタン陸軍の一部である準軍事的部隊であり、この名前はTalbot Mundyの小説King of the Khyber Riflesによって広く知られるようになったという。1954年の映画版の邦題、壮烈カイバー銃隊にならって、「カイバー銃隊」と訳した。Khyberはパキスタン北西部、アフガニスタンとの国境にある峠。現在、日本では、「カイバル峠」「ハイバル峠」の呼びかたのほうが一般的かもしれない。
大英帝国の治世下におけるKhyber Riflesは、8つある「辺境兵団」("Frontier Corps") のひとつ、または北西辺境州の部族民から募兵され、正規軍である英領インド陸軍の補助をつとめた準軍事的な部隊を指していた。1880年代早期、その頃はまだKhyber Jezailchisと呼ばれていたKhyber Riflesは、アフリディ族の部族民たちから構成されており、正規軍から転属された英国人の指揮官に率いられていた。下級将校はアフリディ族であった。本拠はランディ・コタール。おもな任務はカイバル峠の守備にあった。
JezailまたはJezzailは、アフガニスタン式の銃身の長い銃。名探偵として名高いシャーロック・ホームズ氏の友人、ワトソン博士の肩に傷を追わせた銃でもある。研究社の『新英和大辞典 第六版』には、「(重くて長い)アフガン式ライフル銃」との記載があるが、最初のJezailは先込め式で、銃身に施条はなく、形式としてはマスケット銃に属する。のちに、銃架に乗せて使用するアフガニスタン式のライフル銃のことも、Jezailと呼ばれるようになった。日本語読みはジェゼールまたはジェザイル。
Jezailchi(s)やJezailchee(s)は、Jezailを用いる兵士を指す。chi/cheeの部分は、動作主をあらわすトルコ語の接尾辞 chī に由来する。
参考
- 英WikipediaのKhyber Riflesの項
- Khyber.orgのKhyber Riflesに関する説明
- Goo映画の壮烈カイバー銃隊の項
- IT-Cafeの「シャーロック・ホームズ個人研究ノート」から、ワトソン博士を傷つけた銃
パンツとパンツの違いについて
(2007年1月8日)怠惰というかなんというか、僕はこれまで、海外のゲーム系サイトばかりをチェックしていて、国内のサイト、とくにブログや日記系のサイトはほとんど見ずに過ごしていたのだけど、これじゃあいかんということで、最近は努力していろいろなサイトをチェックするようにしています。『はてなダイアリー』などは、タレントのある人たちが集まっているようで、わりかし興味深い。
そのひとつ、たまごまごごはんの「オタク的「パンツ」の使い方についてかんがえてみた。」で、「そもそもパンツは下着のことじゃないよね」との記述を見つけた。そういうものだろうか。
検索してみると、外穿きのパンツと内穿きのパンツ、男性用下着の呼称としてのパンツと男女の下着の総称としてのパンツの問題には、世の多くの男性が頭を悩ませているようだ。
パンツとパンティ
- いつからパンティと言わなくなったのか (たけくまメモ)
- 「パンツ」「パンティー」の違いの解る方 (livedoor ナレッジ)
- 「パンティ」はオッサン言葉で、女性で「パンティ」と呼ぶのは、そういうオッサンを喜ばせるお水系の方くらい、と聞いたことがありますが、そういうものなのでしょうか? (Yahoo! 知恵袋)
ズボンとパンツ
昔、漫画やアニメにおけるパンチラ表現についてという駄文を書いたことがあるだけに、パンツに関してはなにがしかの責任を感じる。すこし詳しく調べてみることにした。
英語圏における"Pants"の定義
「そもそも」の話をするならば、パンツはそもそも日本生まれではなく、外国で生まれたのが渡ってきたものであるはずだ。英語圏での「パンツ」の用法を探れば、日本語におけるパンツの混乱をひもとく糸口になるかもしれない。英語圏でもっとも権威ある英英辞典であるOxford English Dictionary(第2版)のCD-ROM版を使って、pantsの定義に当たってみた。
pants, n. pl.
(p&nts )
[Abbreviation of pantaloons.]
1. a. orig. = Pantaloons; subsequently used for trousers, worn by either men or women. Chiefly U.S. b. orig. colloquial and shoppy for drawers; now used for underpants, panties, or shorts worn as an outer garment: cf. hot pants (hot a. 12c).
PantsはPantaloonsの省略形であり、1.a.の意味として「= パンタロン。その後、トラウザーズを指して用いられた。男性と女性両方が着用する。おもに米」、1.b.の意味として「ドラワーズの口語・店員言葉;現在はアンダーパンツやパンティ、または外穿きとして着用するショートパンツに用いられる。例:ホットパンツ」とある。Trousersは長ズボンのこと。Drawersは、日本では訛って「ズロース」と呼ばれている、ズボンのような古い形式の下着。女性専用のイメージが強いが、もともとは男女両用である。記録に残った"pants" の使用例で、もっとも古いものは1840年。
上の定義から、パンツという言葉の両義性は日本固有の問題ではなく、英語圏からして下着と表着の両方の意味を持っていること、両方に"orig."の表記があることから、どちらかがどちらかの派生ではなく、両方とも原義とされていることがわかる。
パンツのふたつの進化
パンツの語源となったpantaloonsは、さまざまな時代にさまざまな衣服を指して用いられているが、もとは16世紀のイタリア喜劇に登場するキャラクターの一種、痩せて愚かで嫉妬深くてケチな老商人、パンタローネのこと。(ええ、そうです。からくりサーカスのパンタローネ様のことです) このキャラクターが穿いていた細い長ズボンが、のちのパンタロンの由来となる。
Pantaloonsは、早い例では王政復古 (1660) 以降に、すでにズボンを指して使われていたが、一般的に用いられるようになったのは18世紀末から19世紀初頭になってから。この時点では、パンタロンは、「ぴっちりした種類のズボンで、ふくらはぎの下でリボンもしくはボタンを使って留めるか、のちにブーツの下にストラップを通して留めるようになったもの」を指していた。このパンタロンは18世紀後半に誕生したもので、それまでのニーブリーチズ (knee-breeches) を駆逐するほどの人気を博したらしい。
誕生期のパンツが指し示していたのが、長ズボン状の衣服であることはまちがいない。だが、パンタロンが長ズボン状だったのだから、パンツとはそもそも外穿きのズボンを指すのだ──と一足飛びに考えてしまっては不足がある。19世紀はじめ、パンタロンが男性のあいだで一般的になるのとほぼ同時に、女性たちがまったくおなじものをスカートの下に着用しはじめたからだ。これは流行で女性の服装が軽装になった流れから生まれ、着たのはもっぱら若い女性だったという。
OEDによると、記録上で女性用のパンタロンについて言及したもっとも古い例は1821年。1830年代には、女性用のパンタロンとして、パンタレッツ (pantalettes) の語が用いられるようになる。パンツと略される以前から、パンタロンは外穿きと内穿きの衣装両方の意味を持っていた。これが、OEDで、外穿きと内穿きのパンツ両方が原義とされていた理由である。
余談だが、ヨーロッパでは、「服の下に着用する衣服」という厳密な意味での下着は長いこと存在せず、「下着的」である大部分の衣服は、肌着と表着を兼ねていた。ギリシャ・ローマ期の下着は、単なる防寒のための重ね着であった。中世にはシュミーズ (chemise) という下着があるが、これはもともと男女両用で、スモック (smock) の上に重ねたと言うし、さらにはその上からコルセット (corset) を着た記録がある。
そのいっぽうで、衣服そのものの変化と衣服を指す用語の変化が並行して起こっていたから、話はややこしい。イギリスでは、女性用のシュミーズは、13世紀頃からスモックと呼ばれるが、18世紀末には、ふたたびスモックに代わってシュミーズの語が使用される。スモックはスモックで、今日ではまた別の衣服の名称として使われている。男性用のシュミーズも変化を続け、19世紀に入ると今日のワイシャツに変化する。トリビア系の小話でよく出てくる通り、シャツの裾がカーブを描いているのは、下着として用いられていたときの名残りである。下着の大量生産がはじまったのは産業革命期の18世紀、今日の我々が良く知る下着のスタイルが確立されたのは、20世紀に入ってからだ。
20世紀に入ると、軽快化と表着化が下着の世界のキーワードとなる。軽快化とは、下着がだんだんと小型化し、覆う範囲が狭くなり、肌に密着するようになる流れを言う。下着の表着化については、上のワイシャツの例でいちど触れたが、20世紀におけるもっとも顕著な例としてはTシャツがある。表着としてのTシャツはだいぶ一般化しているが、いまだにマナーに厳しい場所では忌避される。
ブルマの歴史をちょっとでもかじったことのある方なら、アメリカのA.J.ブルマー女史が世に広めたもともとの衣服が、女性が運動しやすいようにという意図からデザインされたものであり、しかし、今日のブルマにくらべてはるかにゆったりとだぶついたデザインであったことをご存じだろう。今(……今じゃないか。体育着としてのブルマはもう滅んじゃったし)、ブルマを下着と見る人はいないが、そもそものブルマはスカートの下に着用するものだった。日本でも、導入初期は袴状のスカートの下にブルマを着用している。
※ブルマに興奮する人はいるが、彼らは下着としてのブルマに興奮しているのではなく、下着としか思えないようなデザインの服を表着として用いる倒錯に興奮していることに注意。
たまに間違われるが、ブルマー女史はブルマの考案者ではなく、エバンジェリストである(ほんとうの発明者はElizabeth Smith Millerという女性。1850年のこと)。女性がスカートの下に穿く下着としてのパンタレッツは、服飾の流行が変化するにつれて衰退し、19世紀中盤にはほとんど使用されなくなる。しかし、その一方で、ブルマー女史が広めた衣装は、「ムッシュ・ローブ」(つまり、婦人服を着た紳士)と皮肉られた「自転車に乗る女性たち」によって使用され、18世紀後半になると、パンタレッツは、暗に、彼女たちが穿くドラワーズ・トラウザーズやブルマ、サイクリング用のニッカーボッカーズ (knicker-bockers) を指して使われるようになる。
パンツ = 下着 と パンツ = ズボン という等号については前に触れたが、パンタレッツを連結点として、ここに、パンツ = ブルマ という等式があらたに導入されたことになる。そう、ブルマはパンツだったのです! これを見ても、服飾に関する用語は、服そのものの変化と名称の変化・再利用という問題が絡まって、非常に複雑であることがわかる。
とりあえずのまとめ
- 日本だけでなく、英語圏でも、パンツは外穿きのズボンと内穿きの下着の両方の意味を持っている
- パンツはもともとパンタロンの略語
- パンタロンは裾の長い衣服だが、表着としても肌着としても用いられていた
- パンツはどんどん小さくなっていった
さらに余談だが、OEDのpantsの項目には、1846年の使用例として、"The thing named pants in certain documents, A word not made for gentlemen, but gents"なる一文が掲載されている。「パンタロンのことをパンツって書いてる人が一部にいるけど、そんなんはジェントルマンやない! ジェントや!」と憤っているわけだ。
かつて日本に「ブログ」という言葉が紹介されはじめたころ、ある方が「ブログはweblogの略だと言うが、これはどうも気に入らない。ブログがweblogの略なら、今日から私の日記はブ日記だ!」と宣言したのを読んでおおいに噴き出した記憶があるけど、こういうセンスは19世紀から既に存在したらしい。パンタロンとパンツ、ブログと日記という語のその後の趨勢をあわせて鑑みると、しみじみと面白い。(ちなみにその方は、いまはブログ用のソフトウェアを使って日記を構築していらっしゃいます)
パンツとパンティの問題
さて、パンティの話。
女性がスカートの下に着用するパンタロンはパンタレッツと呼ばれた。これはパンツとパンティの対応関係を考えるうえで興味深い。
pantaloon → pantalette, pants → pantie/panties/panty に変化する際の接尾辞、"-ette", "-y", "-ie"は指小辞と呼ばれるもので、元の語句に小さなもの、かわいいもの、愛着や親しみといったニュアンスを追加する。例えばcigarに対するcigarette, dogに対するdoggieがこれだ。
"-ette"はもともとフランス語名詞の女性形に由来するが、男性形をあらわす"-et"との使い分けは、中世英語においてもあいまいであり、よく混同して用いられていた。英語圏においても、ごく稀に、"-ette"が名詞の女性形をつくるために用いられることがあるが(これを女性接尾辞と呼ぶ。例:suffragette, 女性参政権論者 / usherette, 案内嬢)、この用法は20世紀に入ってからのもの。
ただ、これらの指小辞は、元の語句に嘲りや侮蔑のニュアンスを追加するためにも用いられる。これは、「小さい」「かわいい」がときとして侮蔑のニュアンスを含むのと同根かもしれないが、OEDの記載からすると、愛称としての"-y/-ie"と、侮蔑のための"-y"は、そもそも別の系統の言葉だったのかもしれない。
OEDで"panties"を引くと、まず、"Men's trousers or shorts. Usu. in derog. contexts"なる定義が出てくる。OEDの定義順は『広辞苑』と同じ登場年代順で、先に出てくる語義のほうが古いのだが、この言葉が文書に登場しはじめる19世紀中頃(1845〜)には、男性用のズボンやショートパンツのことをパンティと呼んでいたことがわかる。女性用の下着として「パンティ」の語が用いられるようになるのは、20世紀に入って以降のことだ。
全国の下着倒錯者の皆さんに朗報です! 今日からあなたたちは堂々とパンティを穿いてかまいません! と宣言したいところだが、悲しいことにこの定義にはまだ続きがある。「通常、軽蔑的な文脈で用いられる」というのがそれだ。『リーダーズ・プラス』を引くと、"pantie"の意味として、俗語で「ムショ内のホモがはく下着」という記述がある。ここでもパンティは馬鹿にされているわけだ。
男性用ズボンの侮辱語としての「パンティ」は、女性用下着を「パンティ」と呼ぶのが一般的になるにつれて消えてゆく。とはいえ、意味がスライドしただけで、男性用下着を「パンティ」と呼ぶことで相手を侮蔑するのは、いまも可能だろう。男子の皆さんは、小学校のプールの時間、水着に着替えている最中に、突然、「こいつ女の下着穿いてるぜ!」と指さされた場合のショックを考えていただきたい。学校のトイレで大便したことが露見するクラスの破壊的な出来事であることは容易に想像がつく。
とはいえ、現在、英語圏の一般的な使用において、pantiesが侮蔑的なニュアンスを持っているとは考えられない。COUBUILD for Advanced Learner's English Dictionaryのpantsの定義から、欧米におけるパンツとパンティの現状を見てみよう。
pants - shorts
In British English, pants are a piece of clothing worn by
men, women, or children under their other clothes. Pants have two
holes to put your legs through and elastic round the waist or hips to
keep them up.
Men's pants are sometimes referred to as underpants. Women's
pants are sometimes referred to as panties or knickers.
In American English, men's pants are usually referred to as
shorts or underpants. Women's pants are usually referred
to as panties.
In American English, pantsare men's or women's trousers.
In both British and American English, shorts are also short
trousers that leave your knees and part of your thighs bare.
「足を入れて通すためのふたつの穴があり、ずり落ちないように、ウェストまたはヒップの周りに弾力性がある」と、パンツがいかなるものであるか律儀に解説しているのが、辞書としてのコウビルドの面白いところだが、ともかくイギリス英語では、パンツは男性・女性・子供がほかの服の下に着る衣服のことである。男性用のパンツはときおりアンダーパンツと呼ばれ、女性用のパンツはときおりパンティまたはニッカーズと呼ばれる。
いっぽう、アメリカ英語では、男性用のパンツは通常ショーツまたはアンダーパンツと呼ばれる。女性用のパンツは通常パンティと呼ばれる。アメリカ英語では、パンツは男性用または女性用のズボンを指す。
イギリス・アメリカ英語の両方で、ショーツは膝まで届かず、ももの一部が露出する短いズボン(つまりショートパンツ)のことも意味する。
前出の「たけくまメモ」のコメント欄には、(英語圏では)「普通のズボンはアウター・パンツ outer pants」と呼ぶという意見が投稿されていたが、おそらく、普通のズボンをアウター・パンツと称するのは、和製英語の類いだろう。
"Outer pants"でgoogle検索すると、海外圏でも"outer pants"の語を使用した例は見つかるが、水着のパンツの外側にもう一枚、伸縮性の高いパンツを重ねたものをこう呼ぶ例や、おむつの上に重ね穿きするパンツや、ウィンタースポーツで長ズボンの上に重ね着する長ズボンを"outer pants"と呼ぶ例が主流で、単に外穿きのズボンを指して"outer pants"と呼ぶ例は見つけられなかった。同種類のpantsを二枚重ねたとき、区別のために外側のパンツを"outer pants"と呼んでいると考えたほうが自然だろう。
もうひとつ付け加えておくと、製品の名称がpantie-beltやpantie-girdle, pantie-hoseやpantie-stockingsのような複合語をなす場合、その製品は、パンティとそのあとに続く下着の機能両方を兼ねていることをあらわしている。したがって、全国の痴女の皆さんに朗報です! 言語学的見地からすると、あなたがたはパンストの下に下着を穿かなくてかまいません!
日本におけるパンツとパンティ
日本において、パンツは長い間、もっぱら男性用の下着を指していた。ズボンの呼称としてのパンツは、1960年代以降、ジーンズ・パンツやホット・パンツなどのパンツルックの流行とともに導入されたものだ。ジーンズの一般化は1969年以降。当時のベルボトム・ジーンズは、一種の反体制のシンボルだった。ホット・パンツの流行は1972〜73年。このちょうど中間、1971年には、裾の広がった長ズボンが、パンタロンの名称で日本へ紹介されている。
男性が素朴に「パンティはパンティだ」と信じていた女性用下着に「パンツ」という呼び名があたえられたのはいつだったのだろう。たけくまメモのコメント欄によると、宮崎勤事件の際、彼が「今田勇子」の偽名を使って出した犯行声明文に「パンティ」という言葉が使われているのを見て、多くの女性が違和感を感じ、犯人は男性ではないかとの印象を持ったという。事件が起きたのは1989〜90年。この頃には、「パンティ」という単語は、すでに女性のあいだでは「ふつう」のものではなく、軽蔑的なニュアンスを含むと認識されていたらしい。
Excite Bitの「紀元前までパンツの歴史を追う」を参考にさらにさかのぼると、下着メーカーであるワコールが、製品にはじめて「パンティ」の名称を用いたのは、昭和31年 (1956) の「ウィークリーパンティー」だったという。これは、当時白が普通だった女性用の下穿きを7色セットにして、「その日の気分にあわせてショーツの色をかえる」というコンセプトで売り出した商品であり、大変センセーショナルなものとして話題を呼んだとある。ここから考えると、日本においては、「パンティ」という語には、かなり初期から性的な煽情性のニュアンスが付加されていたのかもしれない。「女性は下穿きのことを一般的にパンティと呼んでいる」という認識は、そもそものはじめから男性の勘違いだった可能性すらある。
いっぽう、chairmanをchair personやchair, firemanをfire fighterに言い換えるようなポリティカル・コレクトネスの波を経た今でも、北米圏では、女性用下穿きの名前として、普通にpantiesの語が用いられている。たとえば、ことさら性的な機能を売りにしない、ごく普通の下着のオンラインショップ、Bare NecessitiesやFreshpairにも、分類のひとつとして"Panties"の名前が見える。したがって、欧米圏での使用例を楯にとって、パンティ派の人々がこれからも「パンティ」の用法を頑なに貫くことは、いちおうは可能だろう。
なお、前出の「紀元前までパンツの歴史を追う」によると、ワコールでは、いまは男女の下着ともに「ショーツ」という言いかたを推奨しているようである。
しかし、先に出てきたように、「ショーツ」という言葉も、下着と同時に表着としてのショートパンツの意味を持っている。パンツに限らず、服飾の名称は、複数の言葉が似たような領域を共有しており、流行の変化や商業的な命名戦略、それ以外の外部要因に応じて、領域の支配色が塗り替わったり、あるいは領域そのものが移動・変化しつづけてきたものらしい。くわえて、日本の場合、外国からの流行の紹介に際して、元の文化圏では連続的な系統上に位置づけられていたものが、文脈から切り離され、別のものとして導入された可能性についても考慮すべきだろう。(同じ漢字であっても、日本に導入された時期によって、呉音や漢音のように読みが異なる例を想起していただきたい) 衣服をめぐる言葉とは、言語学的に見て、じつは非常に興味深い研究対象なのかもしれない。
翻訳メモ:pants man
(2006年12月15日)こないだ買ったSR-G10000で一括検索を使って"pants"を引いていたら(なぜ引いたのかは訊かないでほしい。人にはさまざまな理由がある)、こんなエントリにでくわした。
pants man
《豪俗》ふしだらなやつ,精力的な男.
これは『ジーニアス英和大辞典』の記述で、『リーダーズ・プラス』には次のように記載されている。
pants man
─n.
《豪俗》誰とでも寝る男,女たらし.
なんということだ。パンツマンとは、ふしだらで精力的で誰とでも寝る女たらしのことだったのだ!
よつばと!におけるよつばのとーちゃんの職業はこんにゃくやもとい翻訳家であることから、彼がこの言葉の意味を知っている可能性は極めて高い。世界のあちこちを放浪した遍歴があることを考えると、実際にオーストラリアを訪れてこの言葉を耳にしたか、あるいは実際にそう呼ばれた経験がある可能性も否定できない。「だらしない」程度の意味で呼ばれていたならまだいいが、「誰とでも寝る女たらし」としてこの異名を取っていたとしたら、これは恐るべきことである。あってはならないセックススキャンダルである。とてもお子様にはお見せできない。
そうなると、彼が綾瀬風香の前でわざわざパンツをかぶり、「パンツマン」を自称したことも意味深長になってくる。いい大人が、自宅に上がりこんできた、まだ知り合って間もない、世間的にはそこそこ可愛いほうに属するはずの女子高生に向かって、「私は精力的な男です!」と宣言しているのである。人前に下着姿で平然とあらわれる男性が、誰とでも寝てやると誇示しているのである。これは由々しき事態と言わざるを得ない。綾瀬家の三姉妹の貞操が危ない。かーちゃんも危ない。みんなあぶない。エロ同人誌的な順列組合わせ展開がすぐそこまで迫っている。
ここまで来ると、彼が自慢げに叫ぶ「どっちが上でどっちが下だかわかるまい」という台詞の指すところはもはや明白である。彼は隣家に住む十代の女性に向かって、「私は男性器を二本所有しています」とアピールしているのだ。あるいは、「私の男性器は人間の頭部ほどの大きさがあります」というモーションであるとも考えられる。都条例違反である。不純異性交遊である。まことに破廉恥きわまりない。彼がこう宣言するよつばとおおあめのエピソードでは、「あははは バカだ…」のコマとよつばが洗濯物をたたむコマの間に、時間が経過したことを示す表現が挿入されているが、この間にふたりの間に何があったかわかったものではないのである。
……それはまあさておき、とーちゃんがオーストラリアの俗語を知っているとしたら、よつばは南半球の子である可能性もあるよなあ、と思った次第です。えーと、そういえば6巻は明日発売ですね。
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翻訳メモ:Persian Gate
(2006年12月12日)Companion Cavalryを調べている最中に、About.comで出会った。Companion Cavalry of Alexander the Greatの項目によると、
The Companion cavalry, under the lead of Philotas, was important at
such events as the Battle at the Granicus, in June 334, during the
siege of Tyre, at the Battle at Gaugamela in October 331, the
Battle at the Persian Gate, and in the pursuit of King Darius
of Persia.
とある(強調は筆者による)。アレクサンドロス大王の遠征中、ガウガメラの戦いから首都ペルセポリスの陥落までに、そのような戦いがあったらしい。「ペルシャ門の戦い」と訳すべきだろうか。
検索エンジンで調べてみたところ、Wiki Classical Dictionaryに次の記述をみつけた。
- Persian Gate (Wiki Classical Dictionary)
この文章はLivius.orgからの転載で、元のバージョンには「ペルシャ門」周囲の写真や地図が多数掲載されている。
Persian Gate
Persian Gate: mountain pass in the Zagros. Alexander was
almost defeated here in the first weeks of 332 BCE.
(中略)
Here, the Macedonians prepared themselves for the passage through
the Persian gate (Darvazeh-ye Fars), northeast of Yasuj. However, the
satrap of Persis, Ariobarzanes, was aware of the movements of the
Macedonians and had taken countermeasures.
「ペルシャ門」といっても、実際に門があったわけではなく、Zagros山脈の峠道のことをそう呼ぶらしい。アレクサンドロス大王はここで危うく破れそうになったとある。
ガウガメラの戦いのあと、大王はBabyloniaとElamを攻略する。冬が始まる前にペルシャを十分に掌握したいというのが大王の考えだった。最初のうち、彼の道程はたやすかった。というのは、名高い「王の道」がElamの首都であるSusaまで繋がっており、さらに東に位置するPersepolisとPasargadaeにも続いていたからだ。
Urkutir(現在のShushtar)でPasitigris川を渡ったあと、Masjid-e Solaiman地域のレジスタンスを処理するため、マケドニア軍は現在のHaftgel近くで分割される。大王の将軍であるParmenionが軍の半分を率いて王の道を行き、大王その人はZagros山脈を通るより危険な道を取ることになったのだ。牧畜民の集落であるUxiansが虐殺にあったあとでは、彼の通過を妨げようとする者は誰もいなかった。なんの障害もなく、アレクサンドロスはMarun川(ElamとPersisの境界)を越え、現在のYasujの北に位置する平原に到達した。
ここで、マケドニア軍はYasujの北東にある山峡、ペルシャ門 (Darvazeh-ye Fars) を通過する準備をはじめる。しかし、ペルシャのサトラップであるAriobarzanesはマケドニア軍の動きに気がついており、対抗するために策を講じていた──。
マケドニア軍は川沿いの峡谷をまっすぐ東に入って山脈を越えようとする。左右の丘にはペルシャ人達の姿が見えていたというが、抵抗を受けなくなって久しかったマケドニア軍は、これを単なる避難民と見たらしい。頃は日の出から数時間。東へ向かうマケドニア軍の視界は日に遮られている。はじめ広く通りやすいように見えた道は、曲がり角を過ぎたところで急に狭くなる。先頭が谷間にある小川の合流地点を越え、殿軍が谷に入りはじめたとき、マケドニア軍は道を遮るかたちで壁が築かれているのを発見する。そこでペルシャ軍の反撃がはじまった。
左右から岩石を蹴落とされ、カタパルトや弓矢による攻撃を受けて、マケドニア軍は退却を余儀なくされる。これはHalicarnassusの攻城戦以来マケドニア軍がはじめて体験した挫折であり、ペルシャ側の最後の成功であった。このあと、大王は夜半迂回路を使って山中のAriobarzanesの陣地を包囲し、ペルシャ軍を殲滅したという。
さて、訳語の話。Farsは「ファールス」で、これはペルシャの名の由来になったパールサのアラビア語化だから、読みは分からないけど、"Darvazeh-ye"の部分が「門」を指すのだろう。("Darvazeh"で検索してみてもどうやらそれっぽい) どちらにしても、意味は「ペルシャ門」であるわけだ。
Yasujはどう読むんだろうと検索。Search.comに、Yasujの項目を見つけた。これは米Wikipediaからの引用。
Yasuj is the capital of the Kohkiluyeh and Buyer Ahmad
province in southwestern Iran. Its covers an area of approximately
15,563km.
それではと、こんどはKohkiluyeh and Buyer Ahmadで検索。日Wikipediaの記述が引っかかった。コフギールーイェ・ブーイェル=アフマド州はイランの州で、州都はヤースージュとある。Yasujはヤースージュと読むらしい。どうもイスラム圏の用語は読みにくい。Zagros程度なら、リーダーズにも「ザグロス山脈」と記述があるが、ちょっとマイナーなものになるともうお手上げだ。上の州の読みかたなんて、当てずっぽうでは絶対出てこない。
日Wipipediaの記述をさらにたどると、「観光」の項目の下に以下の記述があった。
- タカーブ山峡はアレクサンドロス大王とアーリユー・バルザンが遭遇した地。またドフタル、マーンギャシュト、ライースィー、ソレイマーンなど多くの古城塞があり、これをまとめて「デリー・メフルガーン」と呼び、有名である。
「アーリユー・バルザン」はAriobarzanesのことだろうか。さきほどのWiki Classical Dictionaryを参照すると、Ariobarzanesはペルシスのサトラップで、古いペルシャ語ではAriyabrdnaと表記するとある。
歴史上には、同じ綴りで「アリオバルザネス」と呼ばれる人がいるが、アレクサンドロスと戦った人物に関しては、Web上でこのように表記した例は見つけられない。"Ariobarzanes"で検索すると、同じ人物を"Ariobarzan"と表記している例があり、とくにイスラム圏で後者の使用例が高くなることから、"Ariobarzan"のほうがネイティブの発音に近いのではないかと思われる。とすると、(検索してもほかに例を見つけられないものの)日Wikipedia の「アーリユー・バルザン」は悪くない表記だろうか。
話をPersian Gateに戻すと、書店でチェックしたところ、専門書ではないものの、「ペルシャ門の戦い」を使用している歴史関連本が見つかった。「Persian Gateの戦い」に関しては、そのまま「ペルシャ門の戦い」と訳して問題無さそうだ。ほかの候補は「ヤースージュの戦い」「タカーブ山峡の戦い」。
















