- ジャンル:
- まんがかんそうぶん
- シリーズ:
- ざっしかんそうぶん, 雑誌感想アーカイブス
- 種類:
- 読みもの
- 最終更新:
- 2006年10月10日 18時08分
- シリアル:
- 2001-02-09-01
| << 『アフタヌーンシーズン増刊』2000年秋号 | もくじへ戻る | 『アフタヌーンシーズン増刊』2001年夏 >> |
| この章のはじめへ戻る |
前に戻る
わーい、えろまんがのネタがまた一つ現実になってしまったよ。未来は明るいなあ。…つうかこういう記事が堂々と載ってしまうNikkei BizTechってどうなのよ。
んーと、アフタヌーンシーズン増刊春の話。春ということで萌えキャラ大集合だった御様子。蟲師の淡幽さんのりんとした赤袴姿(注: 色彩は脳内補完による)が大変に男心をくすぐります。幸せが薄そうなところもまた直球。2001年のトレンドはメイドから袴へとゆるやかに移行しつつあるようですよ。
まぁ馬鹿話は置いといて、女性作家である漆原友紀がまた女性である淡幽を使って「語ることを描く」(or 描くことを語る)というのはそれ自体が一種の倒錯であり耽溺である「危険な遊び」なんだと思うのです。そういうことをしれっとやってしまうあたりには作者の自分の能力に対する自負もあったりするのかしらんとか思ったりもするのですが、しかし「私は生物と蟲が共に生きている話をもっと聞きたい」という淡幽の台詞は描き手と登場人物の同一視という倒錯があってこそ一本筋の通った力を持ち得るわけで、だからやっぱりこのヒトは巧いですよ。
ところで淡幽に蟲退治を語る一人目の蟲師を手塚治虫に、二人目の髭オヤジを宮崎駿に重ねて読むのはいささか穿ちすぎでありましょうか。まぁ穿ちすぎなんだろうなあ。
なつき。(発音はなつきであってなつきまるにあらず)はまぁ良いです。このヒトは画面上の遊びが多すぎて読者の視線がそっちに流れてしまうのが魅力でもあり弱点でもあるかなぁと。熊倉隆敏のもっけも良。ただイズナとかクダとかの蘊蓄は作者の頭の中にだけあれば良くて、それをわざわざ説明しなくても良いのではないかなぁとはやっぱり思います。台詞が説明臭いと冷めちゃうんで…。でも前回よりは話のトーンも明るくて読んでてほっとしました。爺ちゃんも出張ってこないし。後は何だろう、無修整バンザーイ、とか?
何はともあれ駒井悠とさかもと未明が巻末に追いやられているのは何かの予兆だと信じたい今日このごろでありました。マル。
次へ進む
| << 『アフタヌーンシーズン増刊』2000年秋号 | もくじへ戻る | 『アフタヌーンシーズン増刊』2001年夏 >> |
| この章のはじめへ戻る |