- ジャンル:
- まんがかんそうぶん
- シリーズ:
- ざっしかんそうぶん, 雑誌感想アーカイブス
- 種類:
- 読みもの
- 最終更新:
- 2006年10月10日 19時14分
- シリアル:
- 2003-06-24-02
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アフタヌーン8月号の話。
- おまけのCD-ROMの感想
ソフトウェアをインストールせずに画像を眺めただけなのですけど。
- 『ラブロマ』の海の湾曲はあり得なさすぎる。
- いちこちゃんはワイルドすぎる。
- いまは亡きウーフーの「くそ。敗けた」という視線が。
- 『蟲師』の人物は『旅をする沼』のいおと、奥にいるのは(ぼさっとした髪型や笠、人生を投げたようないい加減な体勢から考えて)『雨がくる虹がたつ』の虹郎、なのかな?
- 『アコニー』は眼に力があってよろしいです。「こんな企画で水着になんか絶対になるもんか」という意思の強さが画面から伝わってくるようで素晴らしい。
- ダンダラ
この漫画で描かれているものが男気だと言うのなら、男気なんか持っていないほうがいいやあ、と思いました。
破天荒さを描くにしても『花の慶次』のような爽快さがあるわけでなく、力を持つ人が持たない人をいたぶっている陰惨さがあるだけだし、その人々が「正義」やらなにやらというお題目を背負っているのがまたいやらしい。
集団に属する人間を物語の中で魅力的に描くのはえてして難しいものですが、集団にこういうお題目がくっついてしまうと魅力的に見せるのはもうほとんど不可能だと僕は思います。時代や思想に流されて非道に足を踏み入れてしまった人々の生きざまを描くにしても、イデオロギーや歴史的な名声に寄りかかっている点でこの作品の立場は卑怯です。矮小な悪を矮小なまま描いている『爆音列島』のほうがずっと潔いと思う。
見栄を切っていることは分かるけれどその見栄の格好良さが伝わってこない、という点では先月から始まった『TOKKO』を想起したりもしました。
- 女神さま
こういうエピソードがあると、ああこの作品本当に長く続いてるよなあ、とふと感に入ってしまうこともあるわけで。
それにしても本当にいつまで続くのでしょう。藤島康介が死ぬまでこの作品を描き続けるのならそれはそれでひとつの状況として非常に面白い気はするのですが。
- TOKKO
なにもそんなに説明をつめこまなくても。
- ななはん
おいおいゴキネタは反則だぜ。ちょっと可愛いとか思っちまったでねえか。
- げんしけん
ワタクシは木尾士目が恋愛の話を始めるとすぐに読む気をなくしてしまうのでありますが (最初の『陽炎日記』は面白かったけどね)。まあ『げんしけん』の場合、お話をどう転がすにしろ最後には読者を笑わせる方向に持ってゆくだろうというのがだいたい伝わってくるので安心して読んでいられるのですけど。
で、今回のは大野さん目当てでのこのこ付いてきた斑目が田中と大野さんの仲の良さに気づいてピヨ彦の妹に気を移し、一方妹は兄がオタクであるという立場を生かして雪辱戦を誓う話、ということでよろしいのでしょうか?
追記(2003-6-25)と書きましたが、読み直してみると斑目は咲ちゃん狙いだったのかなあ?という感じが。やっぱり木尾士目の恋愛話は読むのが面倒くさい。
それにしても大野さんは全身兵器だな。三つ編みをまた結ぶか。うしろで。
- ラブロマ
今月の根岸さんは美しいな。
「ヤだなあ 早く帰んないかなアイツ」と思うお父さんがなかなかによろしいです。
- 蟲師
こういう話の作り方があるんだなあ、と感心したり。
光脈筋の異常を引き起したのがギンコっていう可能性はないのかなあ、と読みながらちょっと思いました。まあそこらへんは話の主筋ではないし明記もされていないのでどうにでも解釈可能なのではありますが、ギンコが「繰り返される円環」の乱れの最初の兆候として描写されていることは確かなのですよね。主人公をそういう表現の駒として使ってしまうのは面白いなあ、と。
- 高田裕三の
まだ続くのか…。
- てんフリ
いや、面白かったです。
たぶんわざと表情を崩し気味にして描いてるのですよね。もうちょっと読者に媚びを売ってもいいんでねえかと思ったりもするのですが。
- 雨が止むとき
前半部分の世界の謎の不可解さや異常な世界で主人公が孤立してゆく様子の盛り上げかたは非常に面白いのに、後半の「世界の謎の種明かし」の内容の落差がすごく大きくて、これは味と言って良いのかそれとも弱さと呼ぶべきなのかとしばし考えました。
おそらくこういう系統の作品では世界の謎が何であるのか、ということはあまり大きな問題ではなくて、巨大で対処不可能に見えた危機が実はなんでもない小さなことだった、というふうに肩透かしで転換されてしまう、その転換こそが魅力であり読む人にとっての救いなんだろうな、とは思います。たとえば円熟期の竹本泉の作品の多くがそうであったように。これはSFでなくてファンシーな「おはなし」として読むべき漫画なのだと思う。それでもやっぱり弱いかなあとも思うわけですが。
まあともかく、真面目な須藤真澄が読めるのは喜ばしいことです。
- るくるく
これはよいあさりよしとおですね。
観音様はいつ喋れるようになったんだ。
- アンヘル
「じゃっ」のコマがいいなあと。擬音等に溢れる素なのか計算なのかわからない若年寄的なセンスがなんともだなあと。
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