厨設定と黒歴史の違いについて

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ジャンル:
まんがかんそうぶん, Diary
シリーズ:
種類:
読みもの
最終更新:
2007年05月06日 22時47分
シリアル:
2007-05-06-03

厨設定

厨設定の厨は、他人を省みない不快な、あるいは思慮の浅い言動を取る若年者に対するネット上の蔑称、厨房(「中学生の坊や = 中坊」の意図的な誤変換)に由来する。現在、「厨房」という用語は、年齢の若い人だけでなく、迷惑で愚かしい行動をとる人物全般を指して使われており、ひとつのイデオロギーを強く信奉したり、ひとつの物事に強くこだわる人物は、しばしば敵対者から「○○厨」(「自治厨」「作画厨」など)と揶揄される。


厨設定という言葉は、創作を志す中学生・高校生が考えそうな創作上の設定群を指して用いられる。厨設定は、往々にして、考案者自身は非常に独創的で魅力的だと考えているが、第三者にとっては非常に陳腐であるか、理解不能である。

一般に、厨設定の「厨度」は、設定が現実から乖離しているほど増加し、既存の体系の表層だけを利用しているか、車輪の再発明であるほど増加し、その原因が作者の無知・無教養にあるほど増加し、壮大かつ複雑広範であるほど増加し、矛盾があるほど増加し、パワーバランスが破綻するほど増加し、主人公あるいは作者が好意的なキャラクターに対して極端に有利か、または極端に不利であるほど増加し、キャラクターの境遇が不幸であるほど増加し、物語世界に現実世界の人物あるいはその代理人が登場するほど増加し、作者の願望や価値観が無自覚に反映されているほど増加し、物語に登場しない設定が多いほど増加し、作者の技術と作品の完成度に反比例する。厨度がもっとも高まるのは、作品がまったく存在せず、設定だけが存在する場合である。

作品が厨設定的であるのは、一概に悪いことではない。読者は、おもにティーンエイジャーを中心に、厨設定に惹かれることが知られており、だからこそこれらの設定は厨設定と呼ばれるのであって、うまく活かすことができれば、作品は彼らに強くアピールするものになる。

にもかかわらず厨設定が揶揄の対象になるのは、厨設定を新奇だと思っているのは考案者だけという場合や、厨設定が作者の力量の無さをカバーするために用いられる場合が多いからだろう。設定の「厨度」に気付いた読者あるいは考案者が、それらが好きだった過去の自分に決別し、いまの自分は「厨」でないことを表明するため、あえて声高に叩くことも、理由のひとつと考えられる。創作者が自嘲または自戒をこめて、自他の考案した設定を厨設定と呼ぶこともある。

厨設定はおおかた極端であり、陳腐だが、設定が膨大に及ぶこともよくある。この場合の豊富さは、作者の自信のなさの裏返しであり、設定を増やすことによって「もっともらしさ」を増加させるための取り組みであるか、あるいは、「創作的」とみなされる活動に従事しながら、実際の創作を避けるための手段であることが多い。

設定がご都合主義であっても、読者が納得できる理由や過程が提示されていれば、それらは厨設定とは呼ばれにくい。また、物語内に作者の価値観や願望が反映されるのは、避けようのない自然な流れである。現実に対する鬱屈や希求を創作としてうまく取り出すことができれば、それはきっと人の心を打つはずだ。

ある設定が厨設定と呼ばれるか否かは、作者の力量と作品の魅力、そして読者のメンタルバランスに大きく依存する。その意味では、創作作業とは、厨設定を読者にとって納得可能な文脈に収納するための行為である、と言えるかもしれない。

黒歴史

黒歴史という言葉は、もともとアニメーションターンエーガンダムで、記録が伝えられずに歴史から忘れ去られた時代を指す造語として登場した。源にあるのは、ヨーロッパ中世の暗黒時代や黒魔法といったタームだろうか。黒歴史の背景にあるのは、これまでのガンダムシリーズを総括しようとする意図と、歴史以前に我々よりも遥かに優れた文明が存在したという概念である。黒歴史の遺産は人々に力や栄光をもたらすが、手にあまるほど強大であるために、さらなる災厄や争乱を招く。黒歴史はプロメテウスの火であり、パンドラの箱である。


ここで述べる、自分史の文脈における黒歴史は、現在の自分から考えると正視に耐えず抹消したい過去、程度の意味で用いられている。黒歴史は観測された時点でかならず過去の出来事であり、ある出来事が黒歴史として観測された際には、それを過去のものにしたいという観測者の積極的な意思がつねに働いている。黒歴史は、過去の記憶のなかで、記憶から完全に取り除いても現在の自分にまったく影響を及ぼさないか、あるいはポジティブな影響を及ぼすように思われる事物を指して使用される。

黒歴史は、他人から被った酷い経験よりも、自分が自発的・積極的におこなった恥ずかしい行為を指して使われることが多い。前者を指す場合、「黒歴史」よりも、「トラウマ」の語が用いられる。黒歴史は自分史における若年性の腫れ物であり、思春期における一過性の麻疹の残滓である。

黒歴史は、創作との関連でときおり厨設定と混同される。過去の厨設定は黒歴史である。しかし、黒歴史の範囲は創作の分野に留まらない。自分に悪魔的な別人格が存在するようにふるまう、そうとは知らずに人前で性的な言葉を口にする、先生をお母さんと呼ぶ、などの行為も広く黒歴史とされる。

出来事が現在の自己の成立にポジティブな影響を及ぼしているか、今も継続されている場合、黒歴史とは呼ばれない。商業で活躍する作家が、中学・高校時代、将来のデビューを夢見て構想を書きためたり、学校の文集に作品を寄稿したり、同人誌をつくっていた場合、作者本人にとっては隠したい過去かもしれないが、世間一般からは黒歴史と見なされない。自分の足の爪を、思春期に一時期だけ蒐集していたなら、それは黒歴史になり得る。しかし、今現在も蒐集を続けているなら、口外できるか否かに関わりなく、黒歴史と呼ぶことはできない。

一般に、黒歴史の黒度は実現度に反比例する。実際に作家としてデビューすることができれば、過去の黒歴史は救済される。「ぼくの考えたスーパーマリオのステージ」「ぼくの考えたポケモン」を、エディタや改造を使って実現していた場合と、ただノートに書きためていた場合では、後者のほうが黒歴史度が高い。

しかし、実現度が高くても、行為が自発的で積極的であるほど、行為や成果物に集まった耳目が多いほど、黒歴史度は高まる。「ぼくの考えたポケモン」をノートに書いてひとりで楽しんでいた場合と、制作者に手紙で送りつけた場合では、後者のほうが黒歴史度が高い。また、淫猥な言葉を友人ひとりの前で口にした場合と、人でいっぱいのホールで叫んだ場合では、後者のほうが黒歴史度が高くなる。繰り返しになるが、黒歴史度が高まるのは、行為や成果物と現在の自分との関連が薄い場合である。活躍中の流行作家は、いまはそうでなくても、作家をやめた後、過去の作品や言動を後悔するかもしれない。

ある人が別の誰かの創作または設定を黒歴史と呼ぶとき、観測者は時間的な視座に立っている。観測者にとって、「これはかつて自分が十代の時に好きだった作品に似ている」「この作者は何年か経ったら、いまの自分と同じように、これを書いたことが恥ずかしくなるだろう」と思える事物、おのれの黒歴史を想起させる事物は、彼にとって黒歴史である。

黒歴史ノート

ネットのオタクコミュニティで黒歴史と厨設定がときおり混同される背景には、彼らが子供時代に考案した設定を書きとめた記録、黒歴史ノートの存在がある。

黒歴史ノートには、子供時代の乏しい知識と、流行への影響されやすさと、年齢相応に純粋だったり年齢相応にひねくれていた価値観と、いまとなっては把握すら難しい奔放な想像力と、想像を的確に形にできなかった技術の拙さと、どこにこんな力があったんだろうと不思議になるくらいの熱意と──言い換えるならとにかく厨設定のすべてが詰め込まれている。

黒歴史ノートは自分史におけるパンドラの箱であり、竜の巣である。過去からやって来た抹殺兵器であり、かつての作者を何時間でも何日でも煩悶させ悶絶させ奇声をあげさせる最高の刑罰である。

黒歴史ノートに記載された事物は、いまの自分から見れば、保存などせずにあの時燃やしてしまえば良かった、時間が経ったら消えるインクで書けば良かった、と思わずにはいられないものである。しかし、黒歴史ノートを記述していたときの自分は、このノートを未来永劫保存し続け、自分史に燦然と輝く資産にしたいと考えていた。この強烈な二律背反性こそ、黒歴史ノートの黒歴史たる所以である。

黒歴史ノートは、作者が存在を忘れかけたとき不意に甦り、いくら目をそらそうとしても厳然と存在を主張しつづける。歴史がそれを学ぶものに何度でも促すように、黒歴史ノートもまた、我々に深く頭を垂れるように促す。その意味では、黒歴史ノートは自分史におけるまたとない遺産なのであろう。

参考