いまの自主制作映画ひどかったね。
原作を知らないので当然のようにわけが分からないわけですが、ところどころ面白かったです。オープニングの声がひっくり返るところとか。……っていうか、これはツカミに成功しているのか失敗しているのかどっちなんだ。
あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#2──「涼宮ハルヒの憂鬱 I」
(2006年4月17日)『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』って、『東京大学を面白くする会』みたいなネーミングセンスだよね。
というわけで真の意味での第1回。さすが京都アニメーション制作だけあって、細かいところまで手がかかってます。無駄に活発な涼宮ハルヒの動かしかたに、無駄に活発な彼女の性向がよくあらわれていて面白い。キョンのツッコミ独白はいかにもライトノベルって感じですけど、これもわりと面白いです。
つまらない日常や常識から脱出しようとするもののやりかたが分からなくてばたばたする少年少女、そして少女との出会いが脱出口になる(少女=自由=脱出 という等号が出来ている)、というテーマはすごく魅力的だし普遍的でもあろうと思うのですけど、それがもう一回引っくり返されて、宇宙人や未来人はホントにいました、という方向へ行ってしまうのが良くも悪くもまさしくライトノベルですよね。それはそれで面白いのですけど。
あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#3──「涼宮ハルヒの憂鬱 II」
(2006年4月22日)パソコン部の部長があの程度であっさり折れちゃうのが、なんというか、もったいないよなぁ。あれ、引き延ばしたらそれだけで1本お話ができるくらい美味しいエピソードだと思うんだ。あえなく断られるもなおも雄々しく校内校外を引っ掻き回し、なぜか最後は最新PCを手に入れてふんぞり返る涼宮ハルヒ。そしてぐったり疲労困憊するキョン……とか。
でも、その後の展開にあらわれているように、作者の興味のメインは最初からそっちには無かったということなんですかね。こういう方向性にどのくらい広がりがあるんだろうなあ、と首を捻りつつ次回を待っているところです。
胸タッチとか下着回収とかバニーガールとかいろいろお色気あり。絵のクオリティはすごく高いです。
あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#5──「涼宮ハルヒの憂鬱 III」
(2006年5月1日)なるほどなー。こういうどちらが卵でどちらが鶏なのかわからない入れ子型というか折り畳み型の設定は、いかにも「いま!」のライトノベルですね。面白い。
絵はいまのところ毎回良いです。前回の病気すらどこかへ飛んでゆきそうな変な踊りもたいがいでしたが、今回のつまようじを眺めて不満そうな顔をするハルヒさんもなかなか。
そんでもって、あの三人がさんざん仄めかしたところを総合いたしますと、つまり三年前にハルヒとキョンのあいだで何かがあったという理解でよろしゅうございましょうか。性格が酷いと取りざたされることの多いハルヒさんではございますが、この妄想的観点に立って考えると、実はこの作品でいちばん酷いのは朴念仁を装うキョンではないかという推測も成り立つような。(まあ、だからこそキョンは毎回酷い目に遭わされるのでしょうけど)
あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#6──「孤島症候群(前編)」
(2006年5月13日)夏で水着で孤島で殺人事件なお話。行ったり来たりで未来に飛んだり戻ったり。最近には珍しく……(というか、酷いのが際立って見えるだけという話もあるか。すごいのがあるから)きちんと設計された構成の上でうまいこところころ転がされている感じがたまりません。
それにしてもキョンがなぜああまで朝比奈みくるを贔屓するのかというのは、涼宮ハルヒ世界の最大の謎ではありますね。彼はもっと長門さんを押すべきではないのか。しかし朝比奈さんと長門というのはいわばあの宇宙における相反する陽と陰ふたつの気であると言えなくもないわけで、そうなると、朝比奈が前でいじられることで光るキャラクターであるように、長門有希は後ろに沈むことで真価を発揮するキャラなのだと我々は考えるべきなのでありましょうか。
あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#7──「ミステリックサイン」
(2006年5月18日)前回長門さんの話をしたら謀っていたように長門メインの話が来たもので、ああ俺はてのひらの上で転がされているんだなあという認識をあらたにしたわけですが、今回のお話自体はちょっと分かりにくかったです。もともとそういう話なのか、アニメ化に際して分かりにくくなってしまったのかは原作を知らないので判断できないのですけど。二回見てようやくだいたい把握できたかなーとかそういう感じでした。
次回は孤島探偵話の後編です。
あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#8──「孤島症候群(後編)」
(2006年5月25日)あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#9──「サムデイ イン ザ レイン」
(2006年6月1日)長門! きさま! 見ているなッ! という感じの回。今回はアニメオリジナルの話だそうで、原作者谷川流が脚本を書いています。晴れた日には魔法以上の愉快が降り注ぐから雨の日はふつーなんでーす、というお話。原作者じきじきに脚本を書いただけあって、キャラがひとりひとりきっちり立っていた印象です。
長門さんが部室でひとり本のページをめくるシーンは、わざと長回しにしているのはわかるし、外から聞こえる声が小ネタになっているのもわかるのですけど、さすがにちょっと長すぎな気も。キョンの行動とカットバックしたりすればいいのに……とか思いつつ眺めていたらあとでちゃんとカットバックもやってましたが。
それにしてもマフラーにやきもちを焼いたり寝ているキョンになにかしようとしたりと、ハルヒさんは毎度のことながらお忙しい。たらーっとした放課後の文化部特有の空気がなんとも言えない回でありました。
あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#10──「涼宮ハルヒの憂鬱 IV」
(2006年6月8日)あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#11──「射手座の日」
(2006年6月16日)あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#12──「ライブアライブ」
(2006年6月22日)前回、宇宙戦の締めで使われていたチャイコフスキーの交響曲第4番第4楽章。これ銀河英雄伝説のパロディだよなー、と思いつつ見ていたのですけど、そのひとつまえの第3楽章には、弦を指で弾くピチカート奏法が連続する有名な部分があるんですよね。まさか時系列的にひとつ前のエピソードに当たる今回で長門さんが弦楽器を駆使する暗示として、わざわざこの曲を持ってきたのでは……と考えるのはさすがに穿ちすぎというものでありましょうか。
というわけでハルヒさんが熱唱する回。ライブ場面で音と動きの同期が細かくとってあったり、指使いがかなり精確だったり、顔の表情がキモかったり、髪の毛が貼りついたり汗が落ちたりと、かなーり描写に力が入っています。パースがどどーんとか回転してくるくるーみたいなアニメ的な派手さのない場面で、こういう風にリアルに見せる方向で労力を傾けるあたりが、京都アニメーションがときに「職人的」と呼ばれる所以なのかもなあ、と思ってみたり。キョンが校内をブラブラする場面の裏で軽音の人がばたばたしている様子をちゃんと並行して描写しているあたりも細かい。なによりちゃんとライブっぽい雰囲気が出ているのが凄いよなあ。
でもこの世界的には、ハルヒさんがそう望んだから軽音の人たちが怪我してハルヒが引っ張り出されることになったんじゃね? とか考えると感興が台無しという感じのお話ではあります。まあ、だからこそ、話の後半でハルヒさんはずっとしおらしくしていたのでありましょうが。
あにかん:『涼宮ハルヒの憂鬱』#14──「涼宮ハルヒの憂鬱 VI」
(2006年7月6日)巨人の出現シーンから流れはじめるのは、グスタフ・マーラーの交響曲第8番の第1部。1部・2部から構成される巨大な声楽曲で、声楽・管弦楽あわせて構成人数が膨大であるところから「千人の交響曲」と呼ばれることもあります(マーラーはこの呼び名を嫌っていたという話もあり)。
第1部は、ラテン語の「来たれ、創造主なる精霊よ」という讚歌から。壮大なスケールの曲で、マーラー自身が「大宇宙が響き始める様子を想像してください。それは、もはや人間の声ではなく、太陽の運行する声です」と友人に書き送っています(注:引用はWikipediaから。歌詞の日本語訳も記載されています)。なんでこんなところでクラシック、と思った人もいたかもしれませんが、震動する宇宙、そして≪神≫の再臨を望む声、という、じつはこの場面にぴったりのモチーフを持った曲なのです。
マーラーの作品は、以前あるいは以後のほかの作品を思わせるモチーフがときおり顔を覗かせることでも知られています。なかでも第8番は、彼のこれまでの交響曲の集大成と言われることもある作品。彼の交響曲第1番の標題は「巨人」、第2番の標題は「復活」でした。(→個人的おすすめ8番)
そのほかのポイント:
- キョンは妹に愛されてるなあ。俺もぴょんぴょんされてみてえ
- ほんまハルヒさんのキョンに対する執着は異常やで。ブルマを穿いてみたりバニーガールになってみたり、みくるにかこつけてキョンの好みを知ろうとしてしたり。ほんと涙ぐましい。
- だからやっぱりこの作品においてツンデレと呼べる存在はキョンしかいないのですよ。ホントにねえ。悪いやつだ。制裁されるべきだ
- 長門さんのマウスくるくるは、今回のキョンの動きを見て編み出されたものだったのだろうか
- 愛されているかと思いきや、妹に確信犯的にないがしろにされるキョン
- 古泉は最初に長門のコメントを伝えるべきだと思う
- 長門さんは悲恋ポジションっぽいのが儚くて良いよなあ
- 未来人は役に立たないなあ
総評するとですね、面白かったですね、涼宮ハルヒ! 初回の自主制作映画には度肝を抜かれたし、最初のうちはストーリーの方向性に疑問を感じたりもしたのですけど、まあ後半は正直やられてました。エピソードばらばら放送の罠にうまいこと引っかかったというか。単に絵と動きのクオリティが高かっただけじゃなくて、見せかたと動かしかたにキャラクターに対する思い入れと熱意を感じたのがとても良かったです。京都アニメーションはやっぱすげえ。ひさびさに「お祭り」っぽく乗って楽しめた作品でありました。
- Amazon.co.jpで『TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」エンディングテーマ ハレ晴レユカイ』の製品ページを見る
- Amazon.co.jpで『涼宮ハルヒの憂鬱』の製品ページを見る
- Amazon.co.jpで『涼宮ハルヒの退屈』の製品ページを見る
- Amazon.co.jpで『涼宮ハルヒの憂鬱 朝比奈ミクルの冒険 Episode00 限定版』の製品ページを見る
- Amazon.co.jpで『涼宮ハルヒの暴走』の製品ページを見る
- Amazon.co.jpで『チャイコフスキー:交響曲第4番』の製品ページを見る
- Amazon.co.jpで『涼宮ハルヒの憂鬱 キャラクターソング Vol.2 長門有希』の製品ページを見る






