『キミの名を呼べば』──甘詰留太

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【こんなのどうでしょう?】Fallout 3(フォールアウト 3)
ジャンル:
まんがかんそうぶん
シリーズ:
エロまんがかんそうぶん
種類:
成人向け
最終更新:
2007年02月24日 15時37分
シリアル:
2003-10-17-01
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  • 甘詰 留太(2003-10-03)
  • ¥ 970
  • 通常24時間以内に発送

最近実写エロのほうが面白くなってしまって、エロ漫画はとんとご無沙汰に。コングミを買っては最近の号はフェチ度が足りないなあと嘆息したり、古本屋で見つけた95年のGals Paradiseを眺めて、このころの人は眉毛の描きかたがしっかりしているなあと時代の流れを感じたりしておりました。

コングミは露出度は低くフェチ度は高いブルセラ系(……という言いかたも今時どうかと思う)の雑誌なのですが、ここ数号の流れを見ていると、ひとくちにエロ写真と言っても、撮る人によって写真から漂ってくるエロっぽさは全然違ってくるんだなあと感にいるものがあります。いくら肌を露出させても、「お行儀のいい」写真じゃまったくエロく見えないのだなあ。単にフェチのツボが撮った人と違うだけの話かもしれないけど。

レースクイーンの衣装は、いまはスカートというかパレオのようなものをつけたものが多く、ショートパンツみたいな形状のものも結構見かけるという印象が(すくなくとも誌面上は)あるのですが、写真の状況から見ると95年当時はまだまだハイレグが隆盛を誇っていたらしいです。JOMOの衣装などは、こんなものを着たまま日焼けしたらモデルさんはさぞみっともない思いをしただろうというくらい奇妙な形状をしているのですが、バブルが弾けたと言ってもまだまだこういうものが許される時代だったのですね。この時代の女の人は「眉が太い」と表現されることが多いけれど、写真を見るかぎりでは、濃い、黒い、あるいはしっかりしていると形容したほうが適切であるような気がします。とは言えレースクイーンの化粧様式が同時代の一般女性のそれをどれくらい正確に反映しているかという疑問もあるわけですが。

で、なんともひさしぶりに購入したエロ漫画の単行本が甘詰留太キミの名を呼べば。これはちょっとすごい本でじゃないでしょうか。以下、作品ごとの感想をぱらぱらと。

  • 三人のマジョ(巻頭2Pをカラー収録)

    最後のページの「あっ」「ピョン」のコマの満子の描きかたを見て、「ああ、そっち方面に行かないでおくれ〜」と身もだえました。僕はこの人がたまに投入する、口の中にハートを描いたり目をバッテンにしたり眉毛をループにしたりという、古き良きイモっぽさを残した表現技法がわりに気に入っているので、ハイエンド(?)方向の媚びのある可愛さにはあんまり進化しないでほしいなあー、と思うのです。

    いや、この人は時々顔をのぞかせるもっさりした絵が面白いのですよ。夜伽部大合宿!の「チンコ!」「ですねェ…」のコマとか、奥様の休日の最初のコマのアヤちゃん(注:黒ハチマキ)のすぽーんとした描きかたとか、見るたびに笑っちゃうんだけど、これは手抜きとか下手とか言うよりはもはや立派な味ですよ。ありすぎると困るけれど、姿を消したらきっとすごく寂しいと思う。

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    甘詰留太のもっさり絵。

    満子と今日子の造形はお父さんシリーズ、ストーリーは正しい催眠術からの融合発展形と考えることもできるのかなー、とも思いました。

  • キミの名を呼べば

    複数のキャラクタの視座と願望によって仮構された「世界」が多層的に重なりあう物語。物語の多層構造は、最後の鍵括弧つきの「夢」と傍点つきの夢、そして同じく傍点つきのリアルという言葉によっていみじくも象徴されています。こういう多層的な構造の萌芽は、甘詰留太名義の初単行本である満子に収録された豚汁焼きうどんはパパの味にすでに姿を見せていますが、ここまで完成度の高いものが出てきてしまうとは。

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    彼女の願いをかなえるために、ブルセラショップで制服を購入してきた男の子。ひさしぶりに服を着た満子もドキドキです。

    現実の世界を「夢」だと思いこもうとしている男の子が、幼なじみであった「便女」の女の子とふとしたきっかけで心を通わせ、やがて学校という閉世界のなかに、もうひとつ幻想的な小世界を構築して共有するようになる。一方、徹底して「モノ」として扱われ、救いのない世界で生きてきた女の子にとっても、共世界から半歩足を引いた態度で男の子に演技できることが息抜きになっている。そして共世界がそれ以上存続できなくなったとき、女の子は男の子の脆弱な幻想を男の子からもらった「嘘をつく」力で虚勢をはって退け、最後に夢のように甘美な一回だけの逢瀬をおこなうことによって、男の子を現実の世界へ押し返すのです。エロ漫画に必要な「男にとっての都合のよさ」を維持したまま、夢と嘘と幻想が絡み合った切ない思春期の恋物語・成長物語として完結している、非常に優れた作品だと思います。

    エロ漫画には、レイプだろうが何だろうがセックスに持ち込まれた女の子は快楽を感じて相手を受容しなければならないという不文律、お約束が存在していて、これには一部の例外もありますが、たいていの場合、それらの例外は高尚でも批判でもなんでもなく、罪悪感や後味の悪さを楽しむ「悪食」な人に向けたマイナーな嗜好品にすぎません。だからエロ漫画の中で女の子が快楽を感じるのは、女性が男性の世界に取りこまれて従属する過程であるのと同時に、──あるいは、取りこまれて従属する過程であるからこそ──、ある種の「嘘くささ」を拭いがたく感じさせる幻想でもあるのです。そしてこの「嘘くささ」こそが、虚構の物語と物語を読む我々のあいだにくさびを穿ち、異化し、分離させ、読者が安全に幻想を楽しむための装置となっている。

    でも甘詰留太は、架空のウソ話であるエロ漫画の中にもうひとつ嘘の世界を重ねることで、男性を断罪しない仕組みを残したまま、「女性をエクスタシーに導く」という男にとっての最高の幻想を、架空の自分を演じてはじめて吐露できるような「リアル」な気持ちとして女の子に表出させ、読者にその快楽が真実であることを願わせるのです。これはすごいテクニックだと思いますよ。エクスタシーに導くというおいらの表現はアレですけど。

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    ストーリー性の強いエロ漫画(たとえに出して悪いけど、たとえば師走の翁DISTANCEの一連の作品とか)を読んでいると、たまにストーリーにつき合うのが面倒くさくなる──もっとはっきり言うと、エロだけ描いてくれないかなあと思う──ことがあるのですが、キミの名を呼べばにはそういう印象がなくて、これはどういう差なのだろうと考えた結果、自分はおそらく「ストーリーのなかにエロがあるのは駄目だけど、エロのなかにストーリーがあるのは許容できる」のではないかという結論に達しました。もっと有り体に言い換えてしまうと「エロでストーリーものをやるなら、せいぜい2〜3回でまとめとけ」ということになるのでしょうか。有り体すぎるけど。

    ああ、でも発表媒体の違いもあるかなあ。雑誌でストーリーものをやられると萎えるけれど、いざひとつにまとまって単行本になるとけっこう読める、というのもあるかもしれない。

  • ポチとわたしわたしとポチ(冒頭部4Pをカラー収録)
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    背が高くて眼鏡で髪がウェーブでという先輩のキャラ造形が単行本中一二位を争うくらいツボでした。

    女の子が男の子に出会って救われて、男の子が女の子に出会って救われて、という明るいラブ・ロマンスなお話がよいです。倒錯した主従関係と、倒錯の結果による「もう一人の自分」との融合的な交歓というモチーフも素敵。交歓という表現はかさねがさねアレですけど。

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    女装星野くんと、許すまじき鼻眼鏡化を果たした先輩。

    ただ、ポチとわたしわたしとポチにおける先輩の鼻眼鏡化・マンガ眼鏡化だけは、許すまじき堕落として徹底的に糾弾されなくてはならないと考えるのであります。微妙に少女趣味の香りがした先輩がオープンな姐さんふうの服装になってしまったのも残念なポイントですが、これはきっと先輩が星野くんに出会って解放されたからだと考えて涙をのもうと思います。絵面的にはフリフリを着た星野くんとの差違を目立たせるため、という理由もあるのかな。

    あとは先輩の名字が「根岸」だったら面白いかなー、とちょっとだけ考えたり。甘詰留太赤い華とか描いちゃう人なわけで、時期的にもない話じゃないような気がする。そう考えると、ポチとわたしわたしとポチのストーリー上の対称構造も意味ありげではあります。

    あ、そうだ。「ポぉチ」という擬音はいくらなんでもあんまりだと思いました。

  • エンジェリック・ハウル

    タレ目で長耳で結髪でというニナのキャラ造形が単行本中一二位を争うくらいツボでした。

    男性の罪悪感と少年期への郷愁に喪失感をからませたストーリーは甘詰留太の得意とするところで、考えてみれば表題作であるキミの名を呼べばもこれらの要素をうまく織り混ぜて昇華させているのですが、上の要素を別の方向性で結実させたのがエンジェリック・ハウルだと思うのです。

    登場人物の独白や解説が入るのも甘詰留太の特徴のひとつで、この作品でも独白が非常に効果的に使われています。作者がこれまでつちかってきた技法や創作法がふんだんに取り入れられている作品なわけで、ページ数に対するストーリーの密度と技巧性・抜き度の高さを考えると、エンジェリック・ハウルこそが甘詰留太の現時点での集大成・最高到達点ではないかとも思えます。

    甘詰留太の作品では、登場人物の男性は女性に対して罪悪感を感じるけれども、それはたいていの場合男性内部の感傷であって、「外側」にいる女性からの弾劾ではないのです。女性が男性を責める場合でも、まずキャラクタの男性が主体的に罪悪感を引き受けてしまうので、読者は「生の刃」を向けられない場所に安住しながら、罪悪感の上澄みとしての感傷だけを味わえるようになっている。だからこれはあくまでも娯楽作品であり、味付けのよい嗜好品なのです。さんざん濡れ場をやっておきながら、最後に教条的になって読者を啓蒙するようなうざったいことは、甘詰留太のやり口ではないのですね。たぶん。

えー、まとめ的なものを。

収録作のうち後期にあたるものでは、女の子の描きかたが作品ごとに変化していていると言って過言ではないくらいさまざまなところから技法を盗んできていて、貪欲に成長してゆこうとする姿勢はよいなあと思いました。

それにしてもこの変化はすごい。以前はたまにグロテスクな感じがするくらい固いさらさらした線だったのに、やわらかみのあるしっとりした曲線を描くようになっています。芯の残る平坦なつぼみが、しばらく見ないうちに丸みのある成熟した乳房に変化してしまったとでも言えばいいのか。胸のことをつぼみと表現するのも恥ずかしいな。まあいいけど。髪の毛の光の入れかたや描き文字も、前にくらべてずいぶん手の込んだものに進化しています。描き文字に関しては、置く場所を考え直してもらえないかなーとか、分量をすこし減らしてもらえねえかなーとも思うのですが。

まあともかく、久しぶりに買ったエロ漫画単行本がこの本でよかったなあー、と思える一冊でありました。まる。